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まとめ:得られる教訓は「人を裏切るにしてもスジを通さなきゃダメです!」
その後も秀秋は、「西軍に参加しながら、家康側には『本気で参加しているわけじゃないからね』というメッセージを送り続ける」という、きわめて説明のつきにくい態度を取ります。その結果が、合戦当日の唐突な寝返り。ですがこの秀秋、前述したとおり、せっかく裏切ったにも関わらず、戦後処理でまったくいい思いをすることもなし。本人も飲酒癖のせいで体を壊し、合戦の2年後に早世してしまったのでした。どこで間違ったのでしょう?
戦国史ライター YASHIROの独り言
おそらく徳川家康の思考からして、裏切るなら裏切るで、最初からしっかりとした根回しをしていれば、問題なかったように思います。この話から得られる教訓としては、たとえ裏切りをするにしても、
「こういう理由で、お家の存続のために、やむなく裏切りを決断します!」と敵味方に早めにスジを通してしまったほうが、双方への心象としてははるかにマシということでしょうか。それにしても「戦力を維持して中立和睦主義をとる」という高度な戦略を決断していれば、確かに豊臣家をもう少し存続させる英雄になれたかもしれない秀秋。つくづく残念な形で歴史に名を残してしまったのでした。
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