なぜ小早川秀秋は関ヶ原の戦いで裏切った?教訓は裏切るならスジを通さなきゃダメ

2020年6月24日


 

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なぜ小早川秀秋は関ヶ原の戦いで裏切った?

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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まとめ:得られる教訓は「人を裏切るにしてもスジを通さなきゃダメです!」

足軽b-モブ(兵士)

 

その後も秀秋は、「西軍に参加しながら、家康側には『本気で参加しているわけじゃないからね』というメッセージを送り続ける」という、きわめて説明のつきにくい態度を取ります。その結果が、合戦当日の唐突な寝返り。ですがこの秀秋、前述したとおり、せっかく裏切ったにも関わらず、戦後処理でまったくいい思いをすることもなし。本人も飲酒癖のせいで体を壊し、合戦の2年後に早世してしまったのでした。どこで間違ったのでしょう?

 

 

戦国史ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

おそらく徳川家康(とくがわ いえやす
)
の思考からして、裏切るなら裏切るで、最初からしっかりとした根回しをしていれば、問題なかったように思います。この話から得られる教訓としては、たとえ裏切りをするにしても、

 

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

「こういう理由で、お家の存続のために、やむなく裏切りを決断します!」と敵味方に早めにスジを通してしまったほうが、双方への心象としてははるかにマシということでしょうか。それにしても「戦力を維持して中立和睦主義をとる」という高度な戦略を決断していれば、確かに豊臣家をもう少し存続させる英雄になれたかもしれない秀秋。つくづく残念な形で歴史に名を残してしまったのでした。

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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