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この記事の目次
陳登VS孫策
そんな陳登が良く戦ったのが孫策です。陳登は長江、淮水の住民とも親しく付き合い、海賊を多数帰順させるなど地盤を固めることに専念していました。このため孫策を撃退することができたのです。
元々は陳登の親族が袁術や孫策に敗北して揚州を追い出されていたため、彼自身が孫策を良く思っていなかったこともあるのでしょう。また陳登は江南への進出を考えていたのか、曹操に何度も孫家に対する進言を曹操に行っていたので、曹操は長江を望む度に「陳登の言ったように早く対処していれば」と言っていたと言います。個人的には筆者も、孫策はこの陳登を取り除くために進軍したのでは、と思っています。
孫策の最期とその後
当時、何よりも巨大であったのは曹操だけではなく、袁紹もでしょう。曹操を取り除いていたとしても、袁紹が立ち塞がります。曹操の背後を突けたとしてもそれは袁紹を喜ばすだけであり、結果として孫策の天下ではなく袁紹の天下が来てしまったのでは?と筆者は思います。
もちろん史実の年代通りに袁紹が亡くなればそれも叶うことはないでしょうが。また、孫策の最期はきつい言い方をすれば彼の勢力拡大の「ツケ」でしかありません。孫策は正に天才とも言える速度で勢力を拡大してきましたが、残党という形でその取り立てを行われたのです。この最期はある意味で、時代が彼を求めなかった、という予定された結果だったのではないかと思います。
孫策の評価
孫策はあまりにも短すぎる人生を送ってしまいました。このため、孫策の評価は高い人はとんでもなく高く評価し、低い人はこれでもかと低く評価している、かなり評価の別れている人物だと思います。
しかし孫策は陳寿も評している通り、「勇猛さと鋭敏さは誰も彼には及ばない」人物です。そして同時に「軽はずみでせっかち、そのために命を落とした」人物です。長所に目を向ければもっと進めることができた人物とも言え、その長所ゆえに命を劣ることになった人物、それが孫策のイメージですね。
個人的な意見ですが孫策が上手くいくことはなかったのではないか、そう思いながらもどこかで孫策がもっと生きた世界も見てみたかったように思う、そんな気がします。
三国志ライター センのひとりごと
孫策の邁進は、見ていて気持ちの良いものです。しかし同時に、どこか生き急いでいるような生き方だとも思います。孫策が生きていたら、それを考えると筆者はどこかで「生きれなかったのではないか」とも思うのです。時に自分の死が早いことさえ分かっていたのではないか……そう感じさせる人物ですね、孫策は。
文:セン
参考文献:呉書孫破虜討逆伝 孫策伝
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