孫策は嫉妬深く陰険な人物だった?


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結婚を喜ぶ孫策

 

父、孫堅(そんけん)非業(ひごう)の死を受けて僅か17歳で家臣団を背負い孫呉を発展させたのが小覇王孫策(そんさく)です。

 

周瑜と孫策

 

その人となりは容姿が美しく冗談を好み、よく進言を聞き容れたので、孫策と会った人は孫策の為に誠心誠意(せいしんせいい)尽くし、死も恐れないと正史には書かれます。

美周郎周瑜(びしゅうろうしゅうゆ)との青年主従のイメージもあり、爽やかな英傑に見える孫策ですが実際の孫策は陰険(いんけん)嫉妬(しっと)深い人物であったようです。

 

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自分より人気がある者を許せない狭量な孫策

キレる孫策

 

若くして、刺客の手によって命を奪われたので、悲劇の英雄のように見える孫策。

しかし、史実の孫策を見ていると自分の人気を常に気にし、それを(おびや)かす人物を何としても葬り去ろうという狭量(きょうりょう)な人間性が見えてきます。

 

例えば孫策が高岱(こうたい)という人物を登用して殺害した逸話にはこうあります。

収録されているのは、正史三国志孫策伝が引く呉録(ごろく)です。

 

孫策が江南を統治していた頃、高岱という隠士がいました。

高名な人物だったようで、孫策は(へりくだ)って迎え高岱が左伝(さでん)を愛読していると知り、それなら俺も左伝が好きだから一緒に問答してみようと計画します。

 

その時、ある人が孫策に言います。

「高岱は将軍を武力バカで学問がないと軽んじています。きっと将軍が左伝の内容について質問しても分からないと答えるでしょう

それが、高岱が将軍をバカにしている証拠ですので覚えておいて下さい」

小粒群雄太史慈が孫策に出会うまでの太史慈と孫策

 

次にその人は高岱に面会して言いました。

「孫将軍の性格は自分より優れた人間を憎悪します。もし将軍の質問に次々に答えると、きっと立場が危うくなりますから

時々は知らないで通すように」高岱は(もっと)もだと承知しました。

 

さて、孫策と左伝を問答した高岱は孫策の問いに知らないを連発します。

バカにされたと怒った孫策は高岱を投獄しました。


高岱が人望を得ている事を知り憎んで殺す

 

高岱が投獄されたと聞いた人々は、大勢で孫策の下に押しかけて、「高孔文は立派な人物なので、どうかお許し下さい」と露天で請願。

孫策は(やぐら)に登って遠望すると、嘆願の列が数里にわたっていて高岱が甚だしく人心を得ている事を知り憎んで即座に殺しました。

これ、三国志演義を知っている人だと、あれ?どこかで聞いたような話だと感じると思います。

そうです、道士の于吉(うきつ)を孫策が投獄した時に、多くの人々が、于吉の助命を嘆願した為に、増々孫策が于吉を憎み殺したのにそっくり同じなのです。

于吉、孫策

 

一度なら、たまたまという事もあるでしょうが于吉と高岱と二人続くと、孫策の中に自分より人望がある人間を許せない狭量さや陰険さが

強く宿っていると考えられてなりません。

 

【古今東西の英雄の「最期」は千差万別】
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捜神記の孫策は于吉に呪い殺された

于吉、孫策

 

三国志演義のオリジナルと考えられがちな于吉の怪異話は実は捜神記(そうしんき)という4世紀に編纂(へんさん)されたオカルト本が元ネタです。

さて、捜神記の記録には以下のようにあります。

 

策既殺于吉 毎独坐 彷彿見吉在左右 意深悪之 頗有失常後治創方差 而引鏡自照 見吉在鏡中 顧而弗見 如是再三

因撲鏡大叫 創皆崩裂 須臾而死

 

意訳:于吉を殺してから孫策は毎日夢に于吉を見るようになり、自分の行為を気に病んで心神喪失し古傷が開いた。

ある時、鏡を見るとその中にも于吉が映り込んでいた。ギョッとして、二度、三度見返してもやはり于吉が映っているので、

孫策は鏡を投げつけて絶叫し、全身の傷口が破れて死んだ。

 

ほとんどオカルトですが、これはそのまま三国志演義に反映されました。

このような民間伝承が出来るのを見ると孫策が于吉を殺した事について、当時の人々がどう考えていたのかが分かります。


陳寿の孫策評は粗暴な山猿

陳寿(晋)

 

陳寿は孫策について、以下のような評をつけています。

 

孫策は英気傑済で猛鋭は当世の冠であり、奇を()て異を取り志は中華を(しの)いだ。

しかし、皆、軽佻果躁(けいちょうかそう)で身は()ちて敗れるに至った。

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

軽佻果躁というのは、軽はずみで思慮が足りないという意味なので、有能は有能だったけど、お山の大将気質が最後まで抜けず

暗殺に倒れる運命だった、みたいな意味だと思います。

それが若さゆえの粗削りさで孫策の魅力だと言われれば、それはそうですが

 

孫策はマキャベリストだった

 

kawausoが考えるに、孫策の性格の根っこには嫉妬深さと陰険さがあったと思います。

ただし普段は、そんな感情は前に出さずに気さくで話しやすい兄貴という仮面を被る事で、人望を得る事に成功していたのでしょう。

これは、君主は必ずしも人徳がある必要はない、ただし人徳があるように振る舞う必要はあるというマキャヴェッリの思想にも合致しています。

30歳にもならないで死んだ人物が、自分の本性と仮面の性格を使い分けたんですから孫策という人物が有能な人だった事は間違いないでしょう。

 

もう一つ言えば、江南を平定したばかりの孫策にとっては、自分を超える人望を持つ人間がいるというのは、苦労して平定した土地を

奪い返される脅威(きょうい)として映った可能性もあるでしょうね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

今回は孫策の性格について書いてみました。

よくよく考えると孫家は孫策だけではなく、粗暴な孫堅、酒乱の孫権と性格面では、円満な人物は一人もいない事にぶつかります。

さて、陳寿の評価はともかくどうして表面上、孫策が好青年として描かれるのか?

これは、正史が漢→魏→西晋という流れで正当性を主張していて、呉=魏の家臣という扱いなので、孫呉の二代目が陰険な人物では

主君筋の魏の評判にも宜しくないという配慮で、明朗闊達な人物の面が強調されているのだそうです。

 

参考文献:史実三国志 新たな発見に満ちた真実の三国志に迫る!

 

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