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この記事の目次
趙雲の撤退戦のポイント
「趙雲別伝」の注釈になりますが、ここで趙雲は「撤退戦において軍需物資を余す所無く持ち帰り退却に成功した」と記されています。そしてこのことに喜んだ諸葛亮がそれを恩賞として趙雲の兵士たちに配ろうとするも、趙雲は敗戦で恩賞をしては駄目だと固辞、後のボーナスにするように進言したことで諸葛亮が感動したとありました。
もちろん趙雲の性格や考えなどにも感動したことでしょうが、筆者はここで趙雲が評価された理由は「軍需物資を余す所無く持ち帰り退却に成功した」ことにあると思います。
王平の撤退戦のポイント
街亭の戦いでは、趙雲だけでなく王平の撤退戦も諸葛亮に評価されています。この時の王平の状態を少し説明すると、馬謖の副将とされて、馬謖の山頂に陣取る作戦には反対。
結局別の場所に陣を張ることとなり、馬謖は敗退。張コウによる追撃が行われましたが、この際に王平は殿を務めてこれを阻止、敗残兵をまとめて引き上げた、とあります。そしてここの評価ポイントが、趙雲が評価されたポイントと重なるのです。
王平の評価ポイントと重ねてみる
筆者は「敗残兵をまとめた」が王平が何よりも評価されたポイントだと考えているのです。馬謖は軍令違反後、逃亡したので処断されたと考えると、もしかしたら馬謖が率いていた軍の兵は残して逃亡してしまったのではないでしょうか?
指揮官を失った兵士はどうしようもなくなるでしょうし、遠征中なのでそのまま逃亡、もしくは討ち取られる、最悪何もできず戦死……など色々な末路が考えられます。その人材をまとめて引き返したのが王平です。戦争時には人材もある意味で貴重な物資とも言えますから、趙雲の件と合わせてこの点を失わずに引き返したことこそが王平が評価された点であり、撤退戦の大きな評価ポイントであったのでは?と筆者は思うのでした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は街亭の戦いから、撤退戦の評価ポイントについて解説させて頂きました。街亭の戦いは良く馬謖の話題が出るために趙雲や王平の凄さがあまり印象に残っていないように思います。
しかし蜀の状態を考えてみれば、この敗戦の中でもこれをこなした二人の凄さが伝わってくるようですね。そしてその評価をしっかりとした諸葛亮がどうして馬謖の性格を熟知して失敗を見通せなかったのか……まだまだ街亭の戦いについては色々と考察を巡らせたいですね。
参考文献:蜀書諸葛亮伝 王平伝 馬良(馬謖)伝 趙雲伝「趙雲別伝」
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