馬謖とはどんな人?十万の蜀兵が泣いた街亭の敗戦の顛末【年表付】


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

馬謖

 

馬謖(ばしょく)は、馬良(ばりょう)の弟で劉備(りゅうび)が荊州にいた頃に劉備軍に入りました。その後、荊州従事(けいしゅうじゅうじ)として劉備の入蜀に付き従うと、持ち前の才能で各地の令と太守を歴任。

敵に囲まれる馬謖

 

特に軍計を好んで論じたようで、才人が好きな諸葛亮(しょかつりょう)に気に入られ、大事な局面では使うなと劉備が遺言したにもかかわらず、第一次北伐の要である要衝、街亭(がいてい)の守備を任されて、山頂に陣取り水を断たれてボロ負けしました。今回は、馬謖の生涯について解説してみましょう。


初平元年(西暦190年)荊州襄陽郡宜都県で誕生

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

馬謖は字を幼常(ようじょう)と言い、初平元年(西暦190年)荊州襄陽郡宜都県(けいしゅうじょうようぐんぎとけん)で誕生しました。生家の馬氏(ばし)は襄陽の名家で男兄弟で5名いたとされ、いずれも有能な人物だったようですが、4男の馬良と5男の馬謖以外の3名の経歴は不明です。

 

そんなこんななので、馬謖の少年期の事はほとんど不明で、ようやく名前が出てくるのは22歳の頃、荊州従事として劉備の入蜀に従った時でした。その後、馬謖は緜竹令(めんちくれい)成都令(せいとれい)越雟太守(えっすいたいしゅ)とトントン拍子に出世します。


劉備は馬謖を危ぶんでいた

劉備

 

馬謖は博学多才で突出した才能があり、特に軍計を論じる事を好んだので、諸葛亮に早くから目を掛けられていました。

 

ただし、劉備は兵卒からのたたき上げなので、経験を伴わない馬謖の軍計が机上の空論だと悟っており、臨終間際、「馬謖は口先程の才能はないので、大事な局面では使うな」と孔明に遺言していましたが、孔明は従わず増々馬謖を重用、参軍として(かたわ)らに置いて昼から夜まで毎日議論していたようです。

馬謖に魏打倒を叩き込む諸葛亮孔明

 

こんな調子ですから諸葛亮が馬謖を重んじるのは、まあ、自然の成り行きでした。

 

【諸葛亮に愛された登山家・馬謖】
馬謖


南征で適切に献策し評価を上げる

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

建興2年(224年)春、建寧郡(けんねいぐん)の豪族雍闓(ようがい)が、劉備の死去の空白を突いて蜂起、西南夷(せいなんい)の有力者孟獲(もうかく)を誘い謀反を起こしました。この時、馬謖は孫子の「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」を引き、徹底した破壊ではなく直接謀反に加担した者だけを処罰し、後は赦して、南中の支配は、その土地の人間を使う等と献策しました。

孟獲

 

諸葛亮は馬謖の献策のラインに沿い、孟獲のような有能な敵将は罪を(ゆる)し、そのまま統治を任すなどし、こじらすと1世紀以上はかかる異民族問題をある程度処理する事が出来ました。諸葛亮も、この一件で馬謖は決して口先だけの男ではないと確信したようで、それが北伐での馬謖の登用(とうよう)に繋がります。


街亭の山頂に陣を敷き張郃に敗北

馬謖の副将として配属される王平

 

建興6年(228年)諸葛亮は出師の表を劉禅に上奏し、魏を打倒すべく兵を祁山に進ませます。この時、蜀には宿老として魏延(ぎえん)呉懿(ごい)がいて、識者は両者に命じ先鋒を務めさせるのが妥当と考えていましたが、諸葛亮は、予想に反して馬謖を先鋒に指名し、副官に王平(おうへい)を置いて監督させ大軍を与えました。

 

孔明は、馬謖に戦略上の要衝である街亭お守備を命じ、同時に街道を抑えるように命じたのですが、馬謖は孔明の言いつけを破り山頂に陣を敷く事を決断します。副官の王平は、山頂に水源はなく麓を包囲されてしまえば、全てが終わりになると猛反対しますが、馬謖は聞き容れませんでした。

水路を断たれ残念がる馬謖

 

果たして、街亭を抑えるべくやってきた魏軍の張郃(ちょうこう)は馬謖を「兵法を知らぬヤツ」と嘲笑(あざわら)い、街亭の(ふもと)を包囲して水を断ち困窮した馬謖軍は惨敗します。

【次のページに続きます】

次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 荊州争奪戦
  2. 董荼那(南蛮族)
  3. 董允
  4. 蜀の馬超
  5. はじめての三国志 画像準備中
  6. 劉備 ゆるキャラ

    デザイン担当:よりぶりん

    83話:劉備は荊州四郡をゲット!怒涛の快進撃

    周瑜を曹仁にけしかけて、魏と呉が激闘してい…

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“二宮の変

“三国志データベース"

“三国志人物事典




PAGE TOP