街亭の戦い時の撤退戦の評価ポイントとは?趙雲と王平の功績

2020年6月25日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

戦いには負けと勝ちがあります。ここで面白くベストなのは「勝つ」ことだけではないということです。

曹操から逃げ回る劉備

 

劉備(りゅうび)は負け、撤退戦が多かったですがその度に立ち直って再び立ち上がった所に凄さがあると筆者は思いますね。そんな撤退戦について、今回は街亭(がいてい)の戦いの戦いでの趙雲(ちょううん)王平(おうへい)を例としつつ説明していきましょう。

 

孔明(諸葛亮)から重宝される趙雲

 

この二人がどうして諸葛亮(しょかつりょう)に評価されたか、それがこの街亭の戦いでの撤退に詰まっているのではないか?ということを解説していきたいと思います。

 

街亭の戦い・概要

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

まずは軽く街亭の戦いについておさらいをしていきましょう。街亭の戦いとは228年3月に諸葛亮が行った、第一次北伐で起こった戦いのことです。この時に諸葛亮は蜀の要所であった街亭の守備を馬謖(ばしょく)に命じました。

 

水路を断たれ残念がる馬謖

 

しかしこの際に馬謖は道筋を押さえず、山頂に陣を引いたことから(ちょう)コウを始めとした魏軍に包囲され、水を絶たれたことから敗北してしまいます。この際に諸葛亮は馬謖を処断しますが、ここから生まれたのが「泣いて馬謖を斬る」という故事です。

 

馬謖の失態

山頂に陣を敷いた馬謖

 

ここで馬謖が山に登ってしまったことから街道の封鎖ができないまま、張コウに包囲され水路を抑えられて敗北します。馬謖と言われると、筆者は横山三国志のいきなり馬謖が「よし山に登ろう!」と元気に言い出すシーンが思い起こされますね。

 

馬謖

 

このため馬謖は「生兵法(なまびょうほう)」だとか「頭でっかちで実戦経験が乏しかった」など色々言われていますが、馬謖が何を考えていたかの考察についてはまた別の機会でやることにしましょう。

 

なぜ馬謖は斬られたのか?

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

馬謖は敗北後、故事の如く諸葛亮によって処断を命令されます。ここで斬首になったかどうかは実ははっきりとしておらず、蜀書の諸葛亮伝や王平伝では処刑されたとあるものの、馬謖伝では「獄に下されて物故す」とされており、獄中で死んだ可能性もあるとの考察もあるようです。

泣いて馬謖を斬る諸葛亮

 

真偽はともかくここでは馬謖は処刑されたということで行きますが、なぜ馬謖が処刑されたのかは軍令違反、敗北など色んな理由があるものの、大きな理由に「処罰を恐れての逃亡」が決定だとなっているようです。

 

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

軍令違反をし、敗北をし、その上罰を恐れて逃亡……これは最早役満、諸葛亮の涙は悲しみだけではなかったのかも……なんて思ってしまいますね。

 

趙雲の評価

五虎大将軍の趙雲

 

この街亭の戦いで評価を挙げたのが趙雲です。

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

趙雲は街亭の戦いの起こった第一次北伐では別ルートでいわゆる囮役を務めていました。そして馬謖たちが敗れた後は更に曹真(そう しん
)
軍を引き付け、敗北の中でも兵士たちを良くまとめて大敗にまで至らなかったと言われています。

 

劉備を徹底サポートする趙雲

 

撤退戦の難しさは日本の歴史でも言われている通りであり、その撤退戦をそつなくこなした趙雲が評価されるのは理解できますが、趙雲が評価されたのはその撤退戦での行動にあるとも言われているのです。

趙雲の撤退戦のポイント

趙雲子龍

 

趙雲別伝(ちょううんべつでん)」の注釈になりますが、ここで趙雲は「撤退戦において軍需物資を余す所無く持ち帰り退却に成功した」と記されています。そしてこのことに喜んだ諸葛亮がそれを恩賞として趙雲の兵士たちに配ろうとするも、趙雲は敗戦で恩賞をしては駄目だと固辞、後のボーナスにするように進言したことで諸葛亮が感動したとありました。

 

男気溢れる趙雲

 

もちろん趙雲の性格や考えなどにも感動したことでしょうが、筆者はここで趙雲が評価された理由は「軍需物資を余す所無く持ち帰り退却に成功した」ことにあると思います。

 

王平の撤退戦のポイント

馬謖の副将として配属される王平

 

街亭の戦いでは、趙雲だけでなく王平の撤退戦も諸葛亮に評価されています。この時の王平の状態を少し説明すると、馬謖の副将とされて、馬謖の山頂に陣取る作戦には反対。

王平は四龍将

 

結局別の場所に陣を張ることとなり、馬謖は敗退。張コウによる追撃が行われましたが、この際に王平は殿を務めてこれを阻止、敗残兵をまとめて引き上げた、とあります。そしてここの評価ポイントが、趙雲が評価されたポイントと重なるのです。

 

王平の評価ポイントと重ねてみる

進軍する兵士b(モブ用)

 

筆者は「敗残兵をまとめた」が王平が何よりも評価されたポイントだと考えているのです。馬謖は軍令違反後、逃亡したので処断されたと考えると、もしかしたら馬謖が率いていた軍の兵は残して逃亡してしまったのではないでしょうか?

 

鄧禹と兵士

 

指揮官を失った兵士はどうしようもなくなるでしょうし、遠征中なのでそのまま逃亡、もしくは討ち取られる、最悪何もできず戦死……など色々な末路が考えられます。その人材をまとめて引き返したのが王平です。戦争時には人材もある意味で貴重な物資とも言えますから、趙雲の件と合わせてこの点を失わずに引き返したことこそが王平が評価された点であり、撤退戦の大きな評価ポイントであったのでは?と筆者は思うのでした。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は街亭の戦いから、撤退戦の評価ポイントについて解説させて頂きました。街亭の戦いは良く馬謖の話題が出るために趙雲や王平の凄さがあまり印象に残っていないように思います。

 

しかし蜀の状態を考えてみれば、この敗戦の中でもこれをこなした二人の凄さが伝わってくるようですね。そしてその評価をしっかりとした諸葛亮がどうして馬謖の性格を熟知して失敗を見通せなかったのか……まだまだ街亭の戦いについては色々と考察を巡らせたいですね。

 

参考文献:蜀書諸葛亮伝 王平伝 馬良(馬謖)伝 趙雲伝「趙雲別伝」

 

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馬謖

 

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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