病を患っていたために覆面をつけ、輿にかつがれて登場という異相で関ヶ原に現れる、大谷吉継。石田三成の親友として深く信頼され、合戦当日には、裏切って襲い掛かってきた小早川秀秋の軍勢をあわや返り討ちにしかけるという奮戦ぶりを見せたものの、そこで力尽き「もはやここまで」と武士らしく戦場に散ります。
関ヶ原に参加した武将の中でも、カッコよさではダントツの見せ場を作った人であり、裏切り者や傍観者が続々と出た西軍の中ではなおさらその魅力が際立ちます。それにしても、そこまでして石田三成の味方をした大谷吉継とは、どのような人物だったのでしょうか?
そこで今回は、旧参謀本部が編纂した戦史『日本の戦史・関ケ原の役(徳間書店)』を参考資料に、大谷吉継の人柄が伝わるエピソードを拾ってみましょう。見えてくるのは、親友の石田三成に対して厳しいこともズバリと言う、誠実で実直な男気です!
この記事の目次
大谷吉継のズバリ直言に三成涙目1:「直江兼続との連携って身内の誰かにちゃんと相談したの?」
もともと仲の良かった、大谷吉継と石田三成。その二人が関ヶ原合戦の前に直接会って打ち合わせをしたのは、徳川家康が会津上杉家を討伐するために出陣してから、まもなくのことでした。
石田三成は、大谷吉継を居城の佐和山城に誘い、そこで初めて自身の計画を明かしたとされています。
・会津の上杉家が反乱の気配を見せているので、徳川家康が討伐に向かったが、これは計略である
・実は、上杉家の参謀である直江兼続と自分(三成)が示し合わせたシナリオなのだ
・徳川家康が子飼いの大名たちを引き連れて会津に向かっている間に、こちらでは西日本の諸大名に号令をかけて決起をする算段
・こうすることで徳川家康が関東にいる間にこちらも大軍を結集し、関ヶ原辺りで天下分け目の決戦を挑み、家康を亡きものにするという壮大なプランなのだ!
ところが、自信たっぷりの三成に、大谷吉継はズバリ、以下の強烈な質問をぶつけるのです。
「上杉家の直江兼続って言っても、他家の参謀だよね?そのこと、なんでもっと前に相談してくれなかったの?というか、直江兼続との連携の話って、誰か仲間には相談した?」
「それは・・・」
「え? 一人で決めちゃったの!」
戦国大名どうしですから、こんなくだけた会話ではなかったとは思いますが、大意としてはこのような会話をして、大谷吉継は三成の独断専行を残念がるのです。
大谷吉継のズバリ直言に三成涙目2:「天下分け目の大合戦に持ち込まず、さっさと決戦しちゃえば勝てたんじゃないの?」
それに続く大谷吉継のコトバも振るっています。
「悪いけど、そのようなズサンな計画では、徳川家康を倒すなんて無理。家康は人望もあるし戦略眼もあるし経験も豊かだ。バカなことはやめて、今からでも家康に恭順しよう」
「でも、もう諸大名に檄を飛ばしてしまったのだ」
「ええ?誰にも相談せずに、そこまで段取りを進めちゃったの?」
「そうだ。すべては、天下分け目の決戦で家康を倒すためだ」
ここで大谷吉継は、さらに三成を涙目に追い込む、強烈な質問をしています。
「でもさ、直江兼次が会津で挙兵して、それで徳川家康を関東に誘い出しているうちに、西軍を結成して合戦に持ち込むという話だけど。別に大合戦に持ち込まず、会津に向けて出陣したばかりの家康の本隊を後ろから急襲して、さっさと倒しちゃえば早かったんじゃないの?
どうせやるなら素早くそうしていれば、今ころ、我々が既に勝利者だったんじゃないの?
なんで誘い出した家康が、東日本で東軍を結集しているまで、待ってあげちゃうの?
わざわざ天下分け目の大決戦に持ち込まないほうが有利だったんじゃないの?」
「そ、それは・・・」
言われてみれば確かに、せっかく家康を陽動することに成功したのに、「家康がいない間に檄を飛ばして軍団を結集する」というのでは、あまり意味がありません。三成のシナリオのそもそもの問題点をついてしまった吉継のヒトコトは、実に鋭い。
大谷吉継のズバリ直言に三成涙目3:「お前には人望がないから西軍代表はムリ」
「しかし、もう家康を関東に追いやってしまったのだ」と言う三成に、大谷吉継は、
「そこまでの大事を始めてしまった以上は仕方ない。ならば勝てる策を練るしかないが、そのためにヒトコト、親友としても言いにくいことを言っちゃうけど、いいか?」
それに対して、「厳しい事でも聞くから、言ってくれ」と答えた三成に、吉継はこういう内容のことを告げます。
「お前(三成)は横柄な男として、下の者からとても悪く言われている。諸大名からの評判もきわめて悪い。つまり人望がない。お前が西軍の指揮官になっちゃうと完全に勝ち目はない。だから毛利輝元か、宇喜多秀家か、そのあたりの格式あるオオモノを指揮官に祭り上げるべきだ」
人望がない、と面と向かって言われた三成は、赤面しつつも『そうしよう!』と頷いたとされています。
まとめ:ズバリものを言う大谷吉継の男気!何なら彼に西軍の指揮を執ってもらいたかった!
これだけ三成の欠点が見えていながらも、「勝ち目が薄いとはいえ、家康とのケンカをもう始めてしまったなら仕方がないな、お前に付き合うよ」とばかりに決起し、関ヶ原でも最後まで奮戦を見せた大谷吉継。ズバリと痛いことをいう率直さを含め、なんだか不良漫画の準主人公のような男気を感じませんでしょうか?
それにしても「合戦に持ち込まず、急襲すれば家康に勝てたはず」という斬新なアイデアをぱっと出せるあたり、戦略家としても、もしかしたら超一流だったのではないかと感じさせるところがあります。
戦国史ライター YASHIROの独り言
最期まで「三成のサブ」という立場を崩しませんでしたが、もしかしたら、いっそこの人が西軍の全指揮をとっていたほうが、西軍は強かったのではないでしょうか?
家格のことも考えて本人も西軍のトップに座る気はなかった様子ですが、「大谷吉継が総指揮官」の西軍だったらどのようになっていたか、ちょっと見たかったな、などとも、思ってしまうのでした。
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