「治世の能臣、乱世の奸雄」……人物鑑定家の許子将は曹操をそう表したことで有名です。このためか曹操と言えば「乱世の奸雄」と言い表されることが多いですね。しかし曹操は陳寿をして「非常の人、超世の傑」とも言われた人。
今回は曹操を表したこの言葉たちの説明をしていくと共に、後漢の人物鑑定家、許子将についても少しばかりご紹介していきましょう。
治世の能臣、乱世の奸雄
治世の能臣、乱世の奸雄という言葉が有名ですが、許子将は「子治世之能臣亂世之奸雄」(貴方は治まっている世では有能な役人となるだろうが、乱世であれば卑怯な手段で利を得る奸雄となるだろう)もしくは「君清平之奸賊亂世之英雄」(貴方は平和な世の中では大泥棒だ、しかし乱世となれば英雄となるだろう)と評したそうです。
どちらとも同じようでいて、かなり意味が違っているのが特徴ですね。このことから曹操といえば「乱世の奸雄」という呼び名のイメージが付いたのでしょう。
曹操は大いに笑った・・・
さて褒めているのかバカにしているのか、いまいち判断が付きにくい許子将の人物批評ですが、曹操はこの話を聞いた後に、大笑いしたと言います。良くこの批評を聞いた曹操が喜んだように言われていますが、あくまで大笑いをしたのであり、喜んだかどうかは実は微妙なところなのです。
人物批評に興味がなくて笑ったのか、能臣と言われたことに喜んだのか、奸雄と言われる自分が面白かったのか……理由は色々と考えられるので、曹操が笑った理由を考察するのも面白いですね。
非常の人、超世の傑
さて三国志を記録した陳寿は、曹操を「非常の人、超世の傑」と評しました。この非常の人とは「常に非ざる人」……つまり数多くの人々の中でも稀な才能の持ち主であり、超世、世代を超えた傑者であるという意味です。
こちらは間違いなく褒め言葉ですね。何かと非難されている曹操ですが、三国志の時代よりも少しばかり後の世代の陳寿だからこそ、この評価を贈ることができたのではないかと思います。
超世の傑・曹操
曹操は文武両道の人です。武芸に優れ、軍略に長け、政治的な才能もありながら、詩を始めとした芸術的な才能もありました。また革新的な行動の多くから分かるように、それまでの時代にとらわれることなく、天下に羽ばたいた人物です。
特に過去、敵であった人物でも有能であれば味方に引き入れるなどの合理的な面も持っています。しかしこれらの一面は当時、曹操が生きていた時代では非難されることもままありました。
そんな世で三国志をまとめた陳寿、まとめたからこそ曹操の偉大さに気付いたからこそ「超世の傑」という最大の評価を贈れたのではないでしょうか。個人的にこの超世の傑という評価こそ、曹操を体現した言葉だと思います。
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