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許子将
さて、ここで少し許子将についてもご紹介したいと思います。許子将は曹操を「治世の能臣、乱世の姦雄」と評価した事で知られる三国時代の人物批評家でした。
その批評は曹操や袁紹も気に掛けるほどでしたが、少しばかり問題もありました。何故ならば許子将は「自らが善と見なす人物に対しては賞賛を与える」一方で「そうでない人には徹底的な批判を与える」という、ある意味で人物批評としては問題があったのです。
従兄弟・許靖
そんな許子将は、許靖の従兄弟でした。許靖は紆余曲折後に劉備に仕えることになりますが、大変忠節を尽くして働きました。そして鎮軍将軍として、劉備が漢中王になるよう推挙した群臣の一人として名を連ね、後に劉禅の補佐役となるほど信頼をされています。
その人柄は諸葛亮らが尊敬をするほどであったほどでした。しかし許子将は許靖と仲が悪かったために許靖を評価しなかったと言います。曹操を乱世の奸雄と評した許子将、中々に彼も個性の強い人物だったのですね。
「月旦評」
さて最後に小話を。許子将から生まれた故事があります。許子将は許靖たちと一緒に、人物批評を行っていました。それは毎月一日に行われたことから、月旦評と呼ばれていました。この月旦評で称賛された者は出世するけれど、良い評価をされなかった者は没落したといいます。
この月旦評は今でも「人物批評」のことを表す言葉となりました。人物批評はやり過ぎると反感をかいますが、毎月決められた日だけにしていたのがこの月旦評のポイントかもしれませんね。
三国志ライター センのひとりごと
乱世の奸雄、そういう呼ばれ方もまた曹操のダークヒーロー的な一面を表していて好きな言葉です。しかしやはり陳寿の評価である「超世の傑」……この言葉は、より曹操という人物を表していると思います。もっとこの超世の傑・曹操の姿が広まって欲しいですね。
参考文献:
魏書武帝紀 異同雑語
後漢書列伝・許劭伝
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