今回は、史実の紀元前235年には何がおこるかを箇条書きで解説していこうと思います。
参考文献は史記と戦国縦横家書の2つを参考にします。
では行ってみましょう、キングダムが来てナーーーーーーイ!
この記事の目次
キングダム未来予想「呂不韋死ぬ」
紀元前235年の最初は、呂不韋が死んで密かに葬る所から始まります。
その後、呂不韋の配下で趙と魏と韓の出身者は追放し、秦人で600石以上の高給取りは爵位を取り上げて蜀に流します。
しかし、500石以下については、爵位は奪わずに蜀に流す事にして、以後、呂不韋や嫪毐のような者は財産を没収して戸籍を奪い罪人とする前例が出来ました。この部分は、すでに漫画に出ているので(呂不韋は死にませんでしたが)詳しくは説明しません。
キングダム未来予想「嫪毐の部下を蜀から帰還させて旱魃」
紀元前235年、秦は呂不韋の側近を蜀に送り込む一方で、先に蜀に島流しにしていた嫪毐の部下を咸陽に帰還させています。
読者の皆さんは、「だからなんなの?」と思うかも知れませんが、これはなかなかの大事件なのです。その嫪毐の部下の中には、後に秦の政治を牛耳り、滅亡に追い込む宦官の趙高が含まれているからです。
秦滅亡の元凶を蜀から戻したせいか、その年の秦は6月から8月に向けて雨が降らずに大旱魃に見舞われました。その後、雨は降った模様です。
キングダム未来予想「秦と魏が手を組んで楚を攻める」
現在の所、そんな兆候は微塵もないのですが、紀元前235年には秦はこれまで敵対してきた魏と手を結び辛吾という将軍を魏に援軍に送り楚を攻めたとあります。この時、楚の指導者は李園ですが、武力では対抗できないので計略を巡らしました。
李園は辛吾に手紙を送り、
「昔、秦の将軍の井忌は呂不韋の命令で趙に派遣されて燕を攻めて2つの城を落としました。そこで燕では、蔡鳥という男が呂不韋に城を10個献上して趙との同盟を解消して趙を攻めるようにお願いしたのです。
呂不韋は応じて趙に圧力を掛け、居心地が悪くなった井忌は秦に逃げ戻りますが、呂不韋に誅殺されました。では、将軍、お考え下さい。あなたが楚を攻めたら、私が蔡鳥と同じ事をしないと言い切れますか?」
このように、楚を攻めたら楚の城を秦に献上して魏との同盟を破棄させて辛吾を窮地に陥れると脅します。辛吾将軍は、井忌の二の舞になる事を恐れて、李園にどうすればよいかと相談。
それに対し、李園は魏に行って時間を潰して楚に攻め込まないようにすれば、あなたは命を全うできると答えたので辛吾は魏に行っても、いっこうに楚を攻めようとせず、李園は秦・魏連合軍の攻撃を回避したのです。
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