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キングダム休載SP「秦は動物王国だったって本当?」

2020年7月30日


はじめての三国志_ページネーション

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秦は動物王国だった(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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キングダム休載雑学「穆公は寛大な君主だった」

嬴政(始皇帝)

 

漫画キングダムには、山の民と秦の穆公の話が出て来ます。秦王嬴政の遠い先祖である秦の穆公が大事にしていた良馬が、山の民に捕えられて殺され食べられてしまうという事件が起きました。

 

本来ならば、穆公の馬を食べた事は厳罰に相当しますが、穆公は慈愛のある人であり、「君子は家畜の為に人を害してはならないと聞く、また馬肉を食うと酒を飲まないと体に悪いぞ」と言い、馬肉に合う酒まで山の民に振る舞ったのです。

 

以来、山の民と秦君には友情が結ばれ、それが楊端和と秦王嬴政を結んでいるという話ですが、以前ならふーん、馬ぐらいいいじゃんと思っていましたが、家畜を大事にする習慣のある秦では、穆公のように愛馬を失ってガマンするのは大変だったのでしょう。その意味で穆公はやはり並外れて慈愛が深い君主だったのです。

 

キングダム休載雑学「始皇帝も狩猟場で死んだ」

病に倒れる始皇帝

 

始皇帝は、中華統一後、2年に1度の割合で全国巡幸の旅に出ていますが、この時に始皇帝が仕事をしていたのが、六国が各地に残した狩猟場だったそうです。このように狩猟場を移動して回るというのも、秦が半農半牧の国家の性質を濃厚に残していたためと言えるでしょう。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

秦が動物王国だった説について解説しました。

 

どうして秦が動物に対してフレンドリーだったのか?それは遊牧民が自然に畏敬の念を持ち、人間も家畜も自然神の前では対等であるという素朴な信仰からであったようです。

 

秦が倒れて漢が興ると自然を征服してきた農耕民の国である漢は、人間中心の世界観を持ち動物は人に従属する存在になっていきますが、秦の時代には、もう少しマイルドだったんですね。

 

参考PDF:動物人格化にみる農業文明を征服する秦帝国の原理

ー龍崗秦簡の動物管理律令を中心としてー

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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