織田信長と浅井長政の同盟メリットは?長政裏切りの真意とは?


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お市の方(柴田勝家の妻)

 

織田信長(おだのぶなが)浅井長政(あざい ながまさ
)
、戦国一の美女と言われたお市の方(おいちのかた
)
の輿入れにより一度は義理の兄弟として深い絆で結ばれたかに見えました。しかし後には長政による裏切り、そして最期は義理の兄信長が弟長政を攻め滅ぼしてしまいます。

 

織田信長を裏切り謀反を起こす荒木村重

 

身内であっても裏切りや暗殺、反逆が多かった戦国時代においても印象深い二人の関係。信長と長政の関係を軸に、桶狭間の戦い以降、信長が戦国の雄に駆け上がるダイナミックな時代を追ってみましょう。まずはその前半、信長と長政の同盟締結から裏切りまでを振り返ってみます。


二人の同盟:桶狭間後の信長と長政

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい
)
今川義元(いまがわ よしもと
)
を討ち取った信長は、今川家の弱体化、三河岡崎城主に地盤を確保した松平元康(まつだいら もとやす)(のちの徳川家康(とくがわ いえやす
)
)との清州同盟(きよすどうめい)(永禄4年=1561年)と東に憂いを無くすことに成功しました。これを背景に尾張北部、犬山周辺に残る反対勢力排除による尾張統一と美濃攻略に着手することになります。

 

浅井長政(あざいながまさ)

 

一方、桶狭間の戦いから三か月後、元服直後、15歳の長政(当時は賢政と名乗っていました)は南近江の強豪六角氏との野良田の戦いに勝利。北近江での浅井家を六角氏の従属から解き放ち戦国大名としての地位を固めることに成功しました。長政の祖父亮政が獲得した北近江もその後父久政の代には六角氏に臣従することで辛うじてその立場を保っていましたが、長政がそれを取り戻すこととなりました。


お市の方の輿入れ~同盟締結

馬に乗って戦う若き織田信長

 

その後信長は永禄10年(1567年)に稲葉山城を攻略し、念願の美濃を手に入れることになります。これに前後して、長政との同盟を妹お市の方を輿入れすることで締結することになります。このお市の方輿入れ時期には諸説あり、その時期によって信長にとっての同盟の目的が変わってしまいます。


1.美濃攻略のための同盟:

足軽b-モブ(兵士)

 

一番早い時期としては永禄2年(1559年)から永禄6年(1563年)という説です。この場合、信長にとっては美濃攻略を首尾よく進めるために北近江浅井家との同盟によって背後から牽制してもらうのが目的と考えられます。


2.勢力安定と拡大への準備同盟:

真田丸 武田信玄

 

続いて永禄7,8年(1564,65年)説です。この時点でも信長は美濃を手中に収めておらず、一見すると先の説と変わらないように見えます。しかしこの頃には、尾張統一を果たし(永禄8年=1565年)、武田信玄(たけだ しんげん
)
との同盟のため養女を信玄の四男勝頼に娶らせています。すなわち美濃攻略は目の前の課題ではありますが、もう少し広い視野での領国安定化を見据えだした時点にあたります。

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