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この記事の目次
王允の失敗
正史三国志の話に戻りましょう。王允は呂布と手を組んで董卓を暗殺成功しますが、董卓配下の処遇で温情を出そうという呂布と揉めます。
そもそも王允は手を組むも呂布を信用してはおらず、董卓によって引き立てられた人物たちが董卓の死を悲しんだ言葉を漏らしただけでも処刑してしまいました。これは後々に彼が歴史書でそしられることを防ぐためとも言われており、その発言はしっかりと後漢書に残されてしまっています。
どうして七星宝刀は王允の持ち物にされたのか?
王允はその前半生こそ清廉潔白であります。正に漢の忠臣と言っても良いでしょう。しかし董卓の暗殺が成功した後の董卓配下たちへの対応のまずさ、前述した発言などから評価が分かれてしまう人物にもなってしまったのは皮肉と言えるでしょう。
そんな王允は三国志演義ではあくまで漢の忠臣として描かれ、七星宝刀をキーアイテムとして持たされる人物となっていますね。ここで王允の七星宝刀が持ち物として持たされた理由をちょっと妄想してみたいと思います。
伍子胥と王允
伍子胥もまた王允と同じように七星宝刀を持っていた人物です。そして彼は激情の人とも言われ、何人も恐れぬ激情さゆえに多大な功績を上げました。しかしその激情ゆえに最後は主君と対立し疎まれ、自殺に追い込まれました。
王允は清廉な人でした。しかし清廉さが過ぎて最後は手を組んだ呂布や名士たちからも避けられ、柔軟さを欠いた判断から自決にも近い最期を迎えています。二人の共通点として「周りと融和できない」欠点が筆者に感じられ、それ故に命を落としたと感じます。
だからこそ三国志演義では王允に七星宝刀を持たせ、清廉潔白な人物として描きながらもどこかで「その性格で身を滅ぼした」……と暗示したのではと思うのですが、どうでしょうか?
三国志ライター センのひとりごと
今回は七星宝刀から、王允と伍子胥について妄想をしてみました。言ってしまえばこじつけに近いものです。しかしこういった小さな出来事、それまでの経緯や過去の出来事とどうしても関連付けたくなるのは筆者の性癖。こういった作者の意図があるのでは?を考えるのは楽しいので、皆さんもどんどん考察してみて下さいね。
参考文献:
呉越春秋 三国志演義
後漢書王允伝
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