三国志演義には色んな武器が出てきます。関羽の青龍偃月刀などは有名な武器の一つですね。もちろんこれら全てが架空のものという訳ではありませんが、正史には記述がされていない武器も数多くあります。今回はその中から、七星宝刀についてお話しましょう。
この記事の目次
七星宝刀とは?
七星宝刀とは別名で七星剣とも呼ばれています。その名前が表す通り、北斗七星が装飾されたデザインの剣ですね。北斗七星は中国の道教において重要なものであるとされ、天帝の乗り物としても見立てられている説もあり、数々の伝説や言い伝えを持っている星です。その北斗七星が衣装された七星剣、七星宝刀は破邪や鎮護の力が宿るとされ、儀式などに用いられてきました。
七星宝刀の出番
そんな七星宝刀は、三国志演義において王允の持ち物として出てきます。献帝が董卓によって立てられるも、董卓は暴政を尽くします。そんな中で王允は宴を開き、漢の忠臣たちを招いた席で号泣。
漢の国が董卓によって滅ぼされると泣いた王允に皆も涙を流しますが、曹操だけは笑いました。そして曹操は自らが董卓を討つと言ったのです。
曹操に七星宝刀を託されるも・・・
曹操の言葉に王允は感じ入ったのか、自らの七星宝刀を授けてそれで董卓を討つようにと言いました。王允は曹操の豪胆さに賭けたのでしょう。しかし残念ながら曹操は董卓の暗殺に失敗。
曹操は逃げるように陳留へと逃れていってしまいました。こうして王允は自らが動かねばならないと決意するのです。
もう一人の持ち主は呉越春秋に
王允の持ち物でありながら、最終的には曹操から董卓に移ってしまった七星宝刀。この七星宝刀は三国志演義以外にも出てきて、「呉越春秋」で伍子胥が先の楚王から授かった剣として、七星剣の記述が出てきます。そんな伍子胥は数々の功績があったにも関わらず、主君とぶつかって最期にはその主君から死を賜ることになったのは有名な話です。
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