三国時代、古代中国。その遥か昔に「火徳」というものがありました。これは古代中国にあった五行思想というものですが、これがなかなかややこしい。そこで今回は火徳とは何ぞや?
という疑問点をできるだけ簡略化して、分かりやすく解説をしていきましょう。
これを知っておくととあるカラーリングがより面白くなるので、是非この機会に皆さんも火徳について知っていって下さいね。
五行思想とは?
まずは五行思想、もしくは五行説と呼ばれるものについて説明していきましょう。これは「すべての事物はすべて木・火・土・金・水という五種類の物質の運動と変化によって生成する」という考え方のことです。
つまりこの五行思想、五行説では物事の全てがこの五つの物質の動き、関りによって生み出されていくというものです。そしてそれは政治、時代、王朝も例外なく当てはめることができると考えられていました。
「火徳」
中国における王朝はその時代、人によって移り変わってきています。五行思想はそれにもこの五行思想が当てはまることができると言います。歴代の王朝はこの五行の徳、五徳をそれぞれの王朝の「命運」として持ち、五徳が王朝の移り変わりに関係しているとされているのです。例にすると三国志の漢王朝の五徳は火、つまり「火徳」というのは漢王朝が備えていた命運ということです。
五行について
さて五行が「木・火・土・金・水」というのは前述した通りですが、これらはお互いがお互いに関わり合いを持っているものです。この五行の関係を相生、相剋、もしくは相生関係、相剋関係と言います。
相生は「相互に生み出していく」関係ということで、相剋は「互いに制約をかける」関係というもの。これはちょっと難しいので次でもう少し詳しく説明しましょう。
相生、相剋
まず相生関係について。
「木を擦ると火が付く。火が燃えると土が残る。土の中には金属がある。金属の表面に水滴ができる。水を与えると木が育つ」……と言ったように、前の物質から後の物質が生まれると考えたのが相生です。
では相剋関係とは。
「木は土から養分を吸う。金属は木を切り倒せる。火は金属を溶かす。水は火を消す。土は水をせき止める」というように、こちらはどちらかというと前の物質が勝利するような関係を持っているとイメージすると分かりやすいですね。
漢と曹魏
相生、相剋関係をイメージできるようになったら、実際にどのように当てはめられたかを説明しましょう。この相生、相剋の関係は前述したように王朝にも当てはめられてきました。
三国志で言うなら、分かりやすいのが漢王朝から曹魏への禅譲です。漢王朝の最後の皇帝である献帝は、魏の曹丕に禅譲を行いました。漢王朝は前述したように火徳です。そして火から土が生まれる……相生関係によって、曹魏は「土徳」とされたのです。
あのシンボルカラー
さてここで思い出して欲しいのがとあるシンボルカラーの集団、黄巾党です。黄巾党は黄巾、つまり黄色がシンボルカラーだったことで有名ですね。その元となったのが
「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子に在り、天下大吉」
という言葉と旗。漢王朝は「火徳」で、黄巾の黄色は「土」つまり「土徳」を表していますつまり黄巾党こそ火徳の漢王朝の後継者なのだ!
……と思われているが?
はい、ここで少し気になる点を最後に投げていきましょう。漢王朝は火徳、つまりイメージカラーは赤でした。しかし蒼天、つまりこれでは青が漢王朝を表すこととなっています。
これについては現代でも色々な考察がなされています。例えば漢王朝を水で例えることで、相剋関係から「土が水をせき止める」を表していた、というものなどは有名ですね。しかしそうすると火徳はどこに?後の土徳との繋がりはどうなる?そういう風にどんどん謎が広がるのが難しく、面白いところ。
言ってしまうと「もう黄巾党と五行はそんなに関係ないんじゃ?」とかなりそうなので、今回はひとまずここで終幕ということにいたしましょう。
三国志ライター センのひとりごと
今回は火徳について筆者なりに説明、解説をさせて頂きました。しかしこれらはなかなか深く、調べれば調べるほどに訳が分からなくなるのも事実、もっと時代を遡って劉邦の頃も含むと、余計に訳が分からなくなってしまいます……勉強が足りず、申し訳ありません。なのでこれはあくまで一つのまとめとして、良ければ皆様もご一緒にこの五行、五徳に関して、一緒に考えていって下されば幸いです。
参考文献:
後漢書 光武紀
呂氏春秋
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