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宣穆張皇后
そんな張春華は、夫である司馬懿よりも4年早く、西暦247年に59歳で死去しました。彼女は、晋王になった次男の司馬昭から264年に穆妃と贈号されます。さらに翌年には西晋を建国した孫の司馬炎から宣穆張皇后と皇后の位を贈られる事になりました。
穆皇后とは、歴史上に何名かいますが、いずれも悪行など残さず、立派に家の事を切り盛りして死んでいった女性ばかりのようで、穆という言葉自体にもやわらぐ、なごやか、むつまじい等、家庭円満な意味が並んでいます。
そこから考えると張春華は、司馬懿と険悪な関係だったわけではなく、晩年まで良好な関係が続いたのではないでしょうか?
三国志ライターkawausoの独り言
今回調べてみて気が付いたのですが、司馬懿の家でも曹操の家同様に正室と側室の権力争いが見受けられません。これは、やはり正室の張春華がしっかりと側室や妾を管理して仲違いしないように努めていたからでしょう。
そんな出来た妻を司馬懿が邪険にしてメリットなどあろうハズもないので、やはり司馬懿と張春華の仲は仮面夫婦と言う程に悪いものではなかったとkawausoは思います。
参考文献:晋書
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