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張春華とはどんな人?実は晩年まで司馬懿とラブラブだった?


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張春華とはどんな人?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宣穆張皇后

頭を下げて礼を尽くして接する司馬懿

 

そんな張春華は、夫である司馬懿よりも4年早く、西暦247年に59歳で死去しました。彼女は、晋王になった次男の司馬昭から264年に穆妃(ぼくひ)贈号(ぞうごう)されます。さらに翌年には西晋を建国した孫の司馬炎から宣穆張皇后(せんぼくちょうこうごう)と皇后の位を贈られる事になりました。

 

穆皇后とは、歴史上に何名かいますが、いずれも悪行など残さず、立派に家の事を切り盛りして死んでいった女性ばかりのようで、穆という言葉自体にもやわらぐ、なごやか、むつまじい等、家庭円満な意味が並んでいます。

 

そこから考えると張春華は、司馬懿と険悪な関係だったわけではなく、晩年まで良好な関係が続いたのではないでしょうか?

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回調べてみて気が付いたのですが、司馬懿の家でも曹操の家同様に正室と側室の権力争いが見受けられません。これは、やはり正室の張春華がしっかりと側室や妾を管理して仲違いしないように努めていたからでしょう。

 

そんな出来た妻を司馬懿が邪険にしてメリットなどあろうハズもないので、やはり司馬懿と張春華の仲は仮面夫婦と言う程に悪いものではなかったとkawausoは思います。

 

参考文献:晋書

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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