張春華とはどんな人?実は晩年まで司馬懿とラブラブだった?

はじめての三国志_ページネーション

こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。

張春華とはどんな人?(1P目)


宣穆張皇后

頭を下げて礼を尽くして接する司馬懿

 

そんな張春華は、夫である司馬懿よりも4年早く、西暦247年に59歳で死去しました。彼女は、晋王になった次男の司馬昭から264年に穆妃(ぼくひ)贈号(ぞうごう)されます。さらに翌年には西晋を建国した孫の司馬炎から宣穆張皇后(せんぼくちょうこうごう)と皇后の位を贈られる事になりました。

 

穆皇后とは、歴史上に何名かいますが、いずれも悪行など残さず、立派に家の事を切り盛りして死んでいった女性ばかりのようで、穆という言葉自体にもやわらぐ、なごやか、むつまじい等、家庭円満な意味が並んでいます。

 

そこから考えると張春華は、司馬懿と険悪な関係だったわけではなく、晩年まで良好な関係が続いたのではないでしょうか?


三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回調べてみて気が付いたのですが、司馬懿の家でも曹操の家同様に正室と側室の権力争いが見受けられません。これは、やはり正室の張春華がしっかりと側室や妾を管理して仲違いしないように努めていたからでしょう。

 

そんな出来た妻を司馬懿が邪険にしてメリットなどあろうハズもないので、やはり司馬懿と張春華の仲は仮面夫婦と言う程に悪いものではなかったとkawausoは思います。

 

参考文献:晋書

 

関連記事:衝撃の夫婦仲?司馬懿と張春華のドロ沼夫婦生活

関連記事:司馬懿は恐妻家?それとも愛妻家?司馬懿の奥さんはどんな人?

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

< 1

2

関連記事

  1. 司馬昭
  2. 王賁
  3. 異議ありと叫ぶ司馬懿
  4. はじめての晋

    何で曹操は漢中で劉備に負けたの?

    これまで、劉備(りゅうび)対曹操(そうそう…

  5. 文鴦(ぶんごう)
  6. 賈南風

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

三国志って何?




PAGE TOP