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華キンの徳性
この逸話、確かに華キンの徳性、性格を良く表したものだと思います。一度助けると決めたなら最後まで面倒を見る、やろうと思っても中々できるものではありません。
しかも自分の命もかかわってしまっている状態で、です。正に徳性と言って良いでしょう。それはそれで良いのですが……この話が後にある人物を比較として出てきてしまっているのです。
王朗登場!(不名誉)
さてここで世説新語を見てみましょう。こちらにもこの華キンの逸話が乗っていますが、こちらには王朗が何故か仲間の一人として挙げられています。
もちろん一度仲間にした仲間を結局見捨てようとしてから華キンに咎められるという役回りで……このため、王朗は華キンよりも劣っていると世間は見ていた……と何とも不名誉な逸話に名前が出されているのです。
しかし先に書かれたのは譜叙であり、こちらには王朗の名前はありません。これ、とても興味深いことだと思います。
後の世のイメージ
さて世説新語がやや信ぴょう性にかけるとか、そういった話は今回は置いておいて、どうしてこんな謎の比較、王朗下げが行われているかについて筆者の考えを少し。
三国志演義でも分かるように、王朗はなぜか実際よりも貶められているイメージがあります。しかし三国志演義も、世説新語も三国志よりも後になってできたもの。つまりここに取り上げられている人物、そして話は「後年のイメージ」が影響しているのです。
要するに後年において「王朗は良いイメージがない」と、考えられるのではないのでしょうか。
何だかやりきれない気持ちになりますが、正史と演義の違いのような興味深さは世説新語にもあると思うと、ちょっと面白さと苦笑いが沸き上がってきますね。こんな楽しみ方も、たまには良いでしょう。違いから更に時代の流れをくみ取るのもまた、三国志の楽しみです。
三国志ライター センのひとりごと
今回は華キンの紹介と言うよりもちょっと後半の王朗の解説が多めになってしまいましたね。
しかし華キンというとどうしても王朗のお話が出てきますし、王朗の方からすると三国志演義で諸葛亮の引き立て役にされているのにここでも……と思わなくもありません。
なのでこの機会に紹介させて頂きました。華キンだけでなく、王朗についてもちょっと興味を抱いて頂ければ幸いです。
参考文献:魏書華キン伝 王朗伝 譜叙 世説新語
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