曹操の部下の一人、王朗は雑魚じゃない!諸葛亮と王朗の舌戦を考察


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曹操から見いだされる楽進

 

「人材マニア」「人材ハンター」と呼ばれる曹操(そうそう)は数多くの優秀な人物たちを従えました。その人材登用に貢献した人物が荀彧(じゅんいく)で、彼は曹操に中原(ちゅうげん)を制するだけの人材たちを用意したのです。

 

王朗

 

さてそんな優秀な部下たちの中にいるのが王朗(おうろう)

 

挑発する諸葛亮孔明

 

三国志演義を見た人は「あっ諸葛亮(しょかつりょう)にやられた人だ!」と思う彼ですが、もちろんこれは三国志演義の創作です。今回は王朗に付いて、そして王朗が諸葛亮と繰り広げたという舌戦に付いて話していきたいと思います。

 

自称・皇帝
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三国志演義の王朗について

孔明

 

王朗は三国志演義被害者の一人です。こう書けば大体想像が付くと思いますが、三国志演義での王朗は多くのキャラクターたちの引き立て役として描かれています。

 

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

初っ端は孫策の引き立て役、曹操の部下として出てきたと思うと簒奪(さんだつ
)
加担、北伐(ほくばつ)の際には曹真(そうしん
)
の軍師役と出てきて諸葛亮と舌戦を行うも到底叶う訳もなくコテンパンにされて憤死……これが簡単にまとめた三国志演義での王朗です。

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

ちょっと書いてみただけでも分かる何とも言い難い扱いですね。これらはあくまで三国志演義での王朗。ですがこの三国志演義での王朗が広まってしまったせいか、諸葛亮の引き立て役としてのイメージが強い人物になってしまったのは皮肉です。


諸葛亮とのバトルは本当にあったの?

憤死する王朗

 

ここでまず述べておきたいのは諸葛亮との論戦について。王朗は諸葛亮に散々言い負かされて恥辱(ちじょく
)
のあまり憤死、となる三国志演義は全部創作なのか?ということが気にかかりますが、全部が全部創作でもありません。

 

曹操のフリをして手紙を送るシーン

 

諸葛亮宛に魏の重臣たちが連名で蜀への降伏勧告を送りましたが、これについて諸葛亮は後から「正議」というタイトルを付けた反論を公表しました。このことが三国志演義では王朗と諸葛亮のバトルとして描かれたという訳です。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

しかし再三申し上げますがこれはあくまで連名で出した降伏勧告であり、諸葛亮の反論も王朗に当てたものではありません。あくまで王朗が諸葛亮に敗北したようにされたのは三国志演義の創作と言っていいでしょう。


王朗の主張vs諸葛亮の主張

諸葛亮孔明と口論する王朗

 

ここで少し王朗と諸葛亮のバトルに付いて見直してみましょう。簡単にまとめると、王朗の主張というのは「乱れていた天下をまとめたのは曹家だよ!民や国を考えれば曹魏こそ天下に選ばれているって分かるよ!」ということになります。

 

曹操と機密保持

 

この時代において天下は帝が悪ければ乱れるものですから、漢によって乱れていた天下を平定していった曹魏(そうぎ)、曹操の正当性を説いたものなので筋は通っているのです。

赤鎧を身に着けた曹操

 

では諸葛亮の反論はどうかと言うと「曹操は結局漢王朝を滅ぼしたじゃん!っていうか王朝って昔簒奪者に加担してたよね?」という趣旨で反論をしています。王朗が舌戦で負けたのには色々な理由がありますが、王朗の主張は結構筋が通っている上に諸葛亮の反論はあくまで魏や王朗への個人攻撃なのです。

蜀の皇帝に即位した劉備

 

そしてこの漢王朝への攻撃……三国志演義では劉備(りゅうび)が漢王朝の正当な一族ですが、正史ではそんな場面はありません。

 

献帝を保護する曹操

 

三国志演義でこそやたら漢王朝漢王朝言っていますが、献帝(けんてい)を保護したのも世話をしたのも曹操であって劉備ではない、つまりここで漢王朝の名前を出して通るのはあくまで三国志演義だから、という補正を忘れてはいけないのです。

 

孔明

 

要はこの二人のバトル、諸葛亮が勝ったのは本当に三国志演義でこそ……と筆者は考えるのです。


色々な解釈がある二人のバトル

水滸伝って何? 書類や本

 

ちょっと王朗寄りの意見になってしまいましたが、筆者が諸葛亮の反論は個人攻撃、と認識したのは吉川三国志の影響が強いです。

 

悪役の曹操、正義の味方の劉備

 

この三国志演義をベースにした吉川三国志では、この二人の論争の解釈として「魏の正義と蜀の正義があり、お互いに正義を主張し合っても水掛け論になるから諸葛亮は人々の心を攻めるようにした」というものになっています。

 

孔明

 

つまり魏や王朗の過去を攻撃することで民衆のヘイトを向かわせて勝とうとした、ということです。この解釈は筆者の心にすとんと収まるもので、諸葛亮ならばやるかもしれないと思わせる解釈でもあります。もし見たことがないという人はぜひこの場面を見て欲しいと思う一幕ですね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

最後になりましたが王朗自身は魏国を支えた人物であり、清廉潔白な人物で評判高く、曹丕(そうひ)にも尊敬された人物でした。彼の孫は司馬昭(しばしょう)に嫁ぎ、後の司馬炎(しばえん)を産むことになります。

 

羅貫中

 

そう考えると血筋も凄い人物ということが分かりますね。三国志演義ではあまり評判がよろしくない王朗ですが、魏や呉の優れた人物が三国志演義ではパッとしなくなるのは良くあること。もしかしたら作者の一人である羅貫中(らかんちゅう)に嫌われるほど、魏を強くした人物の一人だったのかもしれませんね。

 

参考文献:魏書王朗伝

 

(2020年7月22日追記) 誤植のお詫び・訂正のお知らせ

謹んで訂正いたしますとともにお詫び申しあげます。下記の通り訂正させていただきました。

 

【誤】彼の娘は司馬昭に嫁ぎ

【正】彼の孫は司馬昭に嫁ぎ

 

関連記事:王朗からの手紙「You降っチャイナ」に諸葛亮ガチギレ

関連記事:【マニアック向け三国志】捕まったことで運命の君主と出会った王朗(おうろう)

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

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