キングダム雑学「秦にニートは1人もいない」その理由とは?


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秦にニートは1人もいない(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも商君の変法がニート撲滅法

韓信と鍾離昧

 

商君の変法が敷かれる前、秦は七国でも特に大家族が多い土地でした。

なかなか分家が行われず大勢で田畑を耕すので貧しいですが、なんとか食えるのです。

だから結婚してもしなくても実家に住み続け、のんびりとして生きる事が出来ました。

逆に言うと、大家族主義はあまり働かないニートが生きやすい社会でした。

 

しかし、そういう大家族だと、国としては人口も増えなけりゃ税収も増えません。

おまけに儒教の観念が強い中原六ヵ国から見ると、秦のような大家族は野蛮の極みでした。

 

商鞅はニートを撲滅して家族をバラバラにして、必死にならないと生きられないように仕向け、お互いに監視させてサボれないようにして生産力を増大させて、秦を強国に導いたのです。

 

逃げる事も出来ない

曹操から逃げ回る劉備

 

仮に、そんな生活が嫌になり、他国に逃げようとしたとしましょう。

しかし秦では、旅行するにもお金以外に旅券が必要であり、旅券なしには宿にも泊まれず野宿するしかありませんでした。

果てしなく広い秦の領土から、常に野宿しながら出ていくのは大変な事でしたし、周囲を山に囲まれた秦では、国外に出るのも一苦労です。

歩きやすい所には、当然、関所があるわけで、逃げる事も簡単ではありませんでした。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

秦は貧しかったので、過酷な法で人民の自由を奪い、利益で釣りシャカリキに働かせる事で君主に力を集中させて強国になりました。しかし、少しも遊びのない国ってつまらないですよね。

 

秦は確かに強い国でしたが、文化的にも実用第一で芸術が育たず、斉のように諸子百家が学問の華を咲かせる事もありませんでした。めぼしい文化事業は、大商人出身の呂不韋(りょふい)が大勢の食客を集め呂氏春秋(りょししゅんじゅう)を編纂した位なんじゃないでしょうか?

普段怠けて生きているkawausoは、秦に生まれるのは嫌ですね。

 

参考文献:始皇帝中華統一の思想 「キングダム」で解く中国大陸の謎

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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