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この記事の目次
そもそも商君の変法がニート撲滅法
商君の変法が敷かれる前、秦は七国でも特に大家族が多い土地でした。
なかなか分家が行われず大勢で田畑を耕すので貧しいですが、なんとか食えるのです。
だから結婚してもしなくても実家に住み続け、のんびりとして生きる事が出来ました。
逆に言うと、大家族主義はあまり働かないニートが生きやすい社会でした。
しかし、そういう大家族だと、国としては人口も増えなけりゃ税収も増えません。
おまけに儒教の観念が強い中原六ヵ国から見ると、秦のような大家族は野蛮の極みでした。
商鞅はニートを撲滅して家族をバラバラにして、必死にならないと生きられないように仕向け、お互いに監視させてサボれないようにして生産力を増大させて、秦を強国に導いたのです。
逃げる事も出来ない
仮に、そんな生活が嫌になり、他国に逃げようとしたとしましょう。
しかし秦では、旅行するにもお金以外に旅券が必要であり、旅券なしには宿にも泊まれず野宿するしかありませんでした。
果てしなく広い秦の領土から、常に野宿しながら出ていくのは大変な事でしたし、周囲を山に囲まれた秦では、国外に出るのも一苦労です。
歩きやすい所には、当然、関所があるわけで、逃げる事も簡単ではありませんでした。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
秦は貧しかったので、過酷な法で人民の自由を奪い、利益で釣りシャカリキに働かせる事で君主に力を集中させて強国になりました。しかし、少しも遊びのない国ってつまらないですよね。
秦は確かに強い国でしたが、文化的にも実用第一で芸術が育たず、斉のように諸子百家が学問の華を咲かせる事もありませんでした。めぼしい文化事業は、大商人出身の呂不韋が大勢の食客を集め呂氏春秋を編纂した位なんじゃないでしょうか?
普段怠けて生きているkawausoは、秦に生まれるのは嫌ですね。
参考文献:始皇帝中華統一の思想 「キングダム」で解く中国大陸の謎
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