三国志の時代、魏では戸籍が民戸と兵戸に別れていました。この中で兵戸は戦争に従軍する義務をもっていて、それは子々孫々、永代続くとされていたのです。
また、兵戸に生まれた女性は、兵戸以外の男性と結婚できなかったので、多くの女性は兵戸の男性と結婚するのを嫌がりました。しかし、それでは魏は兵力を維持できないので、曹操は強引な花嫁募集を開始します。
今回は、そんな怖くも悲しい曹操の花嫁募集の話です。
魏の兵戸は気が荒い連中ばかり
曹操の軍勢の中核を為したのは、いわずと知れた青州兵で元々は黄巾賊だった連中です。また、後に張燕の黒山賊も投降して曹操軍に組み込まれました。つまり、言い方は悪いですが、元犯罪者とカルトの信者が魏軍の中核だったのです。
曹操は、自分に逆らわない限り黄巾賊の信仰の自由を認めていて、もちろん青州兵は独特で異様なカルチャーを持つ異分子で、戦場で味方からも略奪を働き、于禁と衝突したりしています。
普通に考えて、太平道の信者ではない女性が兵戸に嫁に来るのはあまり考えられません。
しかし、曹操は生産力を維持する為に、他の戸籍から兵力を抜こうとはしませんでした。必然的に兵戸は嫁不足になり兵力は伸び悩む事になります。そこで、曹操は悪魔的な閃きをします。
「そうじゃ!亭主に死に別れた未亡人を全国でリストアップして兵戸と結婚させよう。そうすれば経済的に困窮する未亡人を助ける事にもなるし、次世代の兵士も生まれて一石二鳥」
このように、未亡人の意志を一切無視した形で、曹操は全国に未亡人をリストアップするように命じるのです。
未亡人だけをリストアップする筈が・・
さて、曹操の命令を受けて、全国の県と郡で未亡人の調査が開始されます。いくら独り身が寂しくても、未亡人にだって相手を選ぶ権利はありますから、兵戸の犯罪者や黄巾賊の男性と結婚させられるなんて嫌に決まっています。
未亡人たちは、泣き叫び、暴れて抵抗しますが、相手は絶対権力者の曹操ですから全ての抵抗は空しいもので、次々と捕らえられて中央へと連れ去られていきました。
しかも、ヒドイ事に実際にリストアップされたのは未亡人だけではありません。全国の太守、県令の中には曹操の点数を稼ごうと実際には亭主がいる既婚女性までリストアップして、強引に連れ去った悪いヤツらもいたのです。
【古代中国の暮らしぶりがよくわかる】
曹丕を顔面蒼白にした杜畿の告発
その事が分る史料が正史三国志十六杜畿伝に引く魏略に出てきます。
杜畿は河東郡に居た頃、命令書を受けて寡婦を記載し都へ送った。この時、他の郡では嫁に入った娘でも命令書をたてに全部記録して奪い取ったので、道路は泣き声に満ちた。杜畿はただ寡婦だけを取ったので送ったものは少なかった。
やがて、杜畿が中央に召され趙儼が河東郡に送られると送られる寡婦が増えた。文帝はそれを不思議に思い
「先に君が送ってきた時は少なく、今は増えているのはどうした事だね?」と杜畿に聞いた。
すると杜畿は
「ああ、それは私の時は、すべて死者の妻だけを記録したものですが、趙儼は生きている人間の妻までを記録しているからですよ」
文帝は側近と顔を見合わせて青ざめた。杜畿という人は、非常な硬骨漢で、ダメなモノはダメを貫く人だったので、文帝の下問に応えて趙儼が権力を使い不正をしていると堂々と言ったのでしょう。
人さらいは曹叡だけではなかった
これを見て、kawausoは思い出しました。曹叡の晩年の悪行として知られる、すでに兵士以外と結婚している女性をむりやり離婚させて、兵士と再婚させるというあの悪行の事です。
曹叡は、部下に止めるように色々言われても結局原則を曲げず、
①妻を召し上げる際には奴隷を身代わりに出してもOK
②召し上げた既婚者のうち容姿の良い者については後宮に入れるyoウヒョ!
など、余計としか思えない附則のせいで、金持ちは妻の身代わりとなる奴隷を買い漁り、貧乏人は自らの妻女を金銭で金持ちに差し出すという奴隷ビジネスに拍車を掛けてしまい世の中を大きく混乱させてしまっています。
最初の頃kawausoは、ははぁ、曹叡は狂ったんだな可哀想にと思っていましたが、そうか兵戸の性質上、結婚は高いハードルであり、いつも嫁不足であり、何とかしないといけない事情はあったんだなと思い直しています。
難しいですよね、兵戸が兵役という人が嫌がる仕事を永久に請け負うから民戸や一般の庶民は兵役を免れて自由な生活を謳歌している。
だけど、兵戸だけでは、どうしても嫁が不足してしまい、兵役を課せられていない一般女性が一定数嫁として兵戸に必要となる。それが乱世である以上、兵戸に兵役を押し付けている以上、この事を全く他人事として弾劾できる人は、当時の魏にはいないんじゃないでしょうか?
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