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この記事の目次
父を助ける
と、話がずれましたがこの逸話はここで終わりではありません。酒に酔って酒宴で諸葛瑾の面長をからかった孫権、パワハラとアルハラが入り混じったような行動をした主君に、諸葛瑾の息子である諸葛恪が声をかけました。
「二つだけ文字を足すことをお許し下さい」
孫権の許しを得て筆を借りた諸葛恪は「之驢(ロバのこと)」と書き足しました。これで文字は「諸葛子喩之驢」となり、その機転に気を良くした孫権はそのロバを諸葛瑾に与えたと言います。
藍田生玉
息子として父親が笑われているのを助けたいが、主の書いた文字を消すことはできない……そこからの行動と思われますが、この諸葛恪の話を聞いた人々は「藍田生玉」と称えました。
「藍田」は中国の山で美しい宝石の産地のこと。宝石の名産地から評判通りの美しい宝石が産出される、という意味で、名家からそれに恥じない子が生まれることを言います。
しかしその一方でこの時に諸葛瑾は「格は頭が良すぎる、この家を大きくするのはあの子だが、この家を潰すのもまたあの子だろう」と言ったと言うのです。残念ながらこの諸葛瑾の予想は哀しい方向に当たってしまうこととなりました。
イケロバ?
最後にちょっと小話を。
ロバと言われると穏やかでちょっとぼんやりしたようなイメージを抱くかもしれませんが、江表伝では諸葛瑾の容姿については「面長で整った良い顔立ち」「立派で気品のある容貌」となっています。
つまり面長ではあったけれど、顔立ち自体は整った、つまりイケメンであったと思われます。諸葛亮も容姿が良いと言われている話があるので、イケメンの血筋であったのかもしれませんね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は諸葛瑾について、解説させて頂きました。三国志演義ではあまり良い役回りではなく、弟に比べると少々影が薄い諸葛瑾ですが、これで中々面白い人物です。
特に筆者は孫権と諸葛瑾の関係は「呉の水魚の交わり」と言っても良い関係と思っているので、ぜひ諸葛瑾にまだ注目していない方は、この機会にこのお兄ちゃんをよろしくお願いします!
参考文献:呉書諸葛瑾伝 諸葛格伝
参考文献:江表伝
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