諸葛孔明のお兄ちゃん「諸葛瑾」は政治家ではなく軍の仕事をメインとしていた!

2017年8月28日


 

 

蜀の天才丞相・諸葛孔明(しょかつこうめい)。

孔明の得意分野は法律や政治などの内政を得意としています。

そのため戦ではあまり戦果を上げることができませんでした。

(しかし撤退戦においては無敗の丞相でした。下の記事をご覧下さい)

 

【みんなが知らない諸葛孔明】戦率99%!撤退戦では無敗だった!?

    蜀の天才丞相・諸葛孔明(しょかつこうめい)。 劉備(りゅうび)の死後諸葛孔明は北伐を行います。 だが魏軍の鉄壁の壁に阻まれてしまったことや食料を上手く調達できなかったため、 ...

 

 

そして諸葛孔明のお兄ちゃんとして知られ、

孫呉の孫権(そんけん)に仕えた諸葛瑾(しょかつきん)

レンは諸葛瑾のイメージとしては孫呉で外交官としての仕事を中心に行っていた人物だと

思っておりました。

ですが諸葛瑾の本当の姿は外交官ではなく軍人としての仕事をメインに行っていました。

今回は諸葛瑾の軍人としての実績をご紹介していきたいと思います。

 

関連記事:【三国志の新事実】マジで!?蜀の天才丞相・諸葛孔明が沢山いた!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛瑾の軍人としての実績その1:荊州侵攻戦での活躍

 

諸葛瑾の軍人としての実績その1としては関羽討伐戦での活躍を挙げることが、

出来るでしょう。

孫権は荊州に駐屯していた関羽の軍勢が北上して魏の荊州(けいしゅう)北部へ

侵攻を開始したことを知ると劉備(りゅうび)との同盟を破棄して魏と同盟。

その後孫権は荊州へ侵攻を開始。

孫権は孫呉の大軍を率いる総大将に呂蒙(りょもう)を任命し、

参加する諸将には陸遜(りくそん)潘璋(はんしょう)など孫呉オールスターで、

荊州へ向かわせます。

孫権は諸葛瑾にも荊州侵攻作戦に参加するように命令。

こうして孫呉軍は荊州へ攻撃を開始します。

この荊州侵攻戦における戦いの経過ははじめての三国志で多くのライター様が、

執筆しておりますので割愛させていただきます。

呂蒙は孫呉軍を率いて荊州侵攻へ進行すると関羽を討ち取り、

南荊州をすべて孫呉の領地にすることに成功します。

諸葛瑾は荊州侵攻戦で功績を挙げ将軍の位と南郡太守の位、

侯の位を授かることになります。

正史三国志・呉書には諸葛瑾が荊州侵攻戦で、

どの程度の功績を挙げたのか詳細を記しておりません。

しかし諸葛瑾がこれほどの恩賞を孫権からもらっている所を見るとかなりの戦功を挙げたと

言えるのではないのでしょうか。

 



諸葛瑾の軍人としての実績その2:魏軍オールスター侵攻戦の時の活躍

 

諸葛瑾の軍人としての実績その2として挙げられるのは、

魏の曹丕(そうひ)が皇帝の位に就任していた時の戦です。

曹丕は孫権が魏に楯突く行動を度々起こしたことに激おこ。

そして曹丕は合肥(がっぴ)の英雄・張遼(ちょうりょう)

曹魏一の名将と言われた曹仁(そうじん)

曹操軍に加わってからいくつもの戦を経験した歴戦の将軍・張郃(ちょうこう)

曹操から「孫武(そんぶ)・司馬穰苴(しばじょうしょ)以上の将軍だ!!」と

褒められた名将・徐晃(じょこう)など超豪華な将軍を引き連れ荊州・江陵(こうりょう)、

建業(けんぎょう)近くの洞口(とうこう)、

孫呉の対魏の最前線である濡須口(じゅしゅこう)へ攻撃を開始。

諸葛瑾は曹真(そうしん)や夏侯尚(かこうしょう)の軍勢が、

江陵城守備をしていた朱然(しゅぜん)軍を包囲したことを知ると

急いで援軍を率いて助けに行きます。

諸葛瑾は確実に江陵を助けるため十分な計画を打ち立てた後に行動を開始しますが、

中々江陵城を包囲している軍勢を打ち破ることができませんでした。

こうして数ヶ月が過ぎた頃諸葛瑾と一緒に救援軍を率いていた潘璋は、

長江上流に水上拠点を築城。

諸葛瑾は水上拠点から夏侯尚軍が使っている浮き橋めがけて攻撃を開始。

夏侯尚は諸葛瑾や潘璋軍の攻撃を受けても迎撃しておりましたが、

夏侯尚の軍師として戦に参加していた董昭(とうしょう)からの説得を受けて、

撤退することに。

夏侯尚と一緒に江陵城を攻撃していた曹真の軍勢も撤退。

こうして諸葛瑾はなんとか夏侯尚や曹真の軍勢を江陵城から救い出すことに成功します。

孫権は孫呉へ攻撃を仕掛けてきた軍勢を打ち払った後、

江陵城救援を行った諸葛瑾の功績を褒めちぎっており、

かなりの活躍をしたと言えるのではないのでしょうか。

 

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諸葛瑾の軍人としての実績その3:地味だけど諸葛瑾がいなければ、芍陂の役での孫呉軍の活躍はなかった

 

諸葛瑾の軍人としての実績その3としては、

孫呉の隠れた大戦である芍陂(しゃくひ)の役での活躍です。

この戦いは孫権が臣下からの進言を受けて久しぶりに魏へ大攻勢をかけた戦役です。

孫権は芍陂の役において二面作戦を実施。

諸葛瑾は孫権から命令を受けて北荊州に拠点を置いている

魏の樊城(はんじょう)を担当することに。

諸葛瑾は樊城に直接攻撃をかける役目を担ったのではなく、

樊城へ向かう際の進軍経路を確保する役目を与えられるのでした。

諸葛瑾はしっかりとこの役目を行い、

朱然率いる樊城攻撃軍の進軍経路を確保。

朱然率いる樊城攻撃軍は諸葛瑾がしっかりと進軍経路を確保したため、

樊城へ猛攻をかけることができ、陥落させる寸前まで追い込むことに成功。

しかし孫権の太子である孫登(そんとう)が亡くなった事と

諸葛瑾が病で軍の指揮ができなかったことが重なった為撤退することになるのでした。

諸葛瑾はこの戦いでは目立った戦いをしていませんが、

樊城攻略軍と同じくらい大切な仕事をきっちりとこなしていたと

言えるのではないのでしょうか。

 

「おまけ編」軍人と思っていた為孫権からアドバイスしてくれと頼まれても断る

 

さてここでは諸葛瑾のエピソードのおまけ編をご紹介したいと思います。

諸葛瑾は孫権が皇帝となると大将軍の位を与えられ、

完全に軍人としての道を歩んでいくことになります。

しかし順調に孫呉の重鎮として活躍していた諸葛瑾に大事件が勃発することに。

それは孫権が呂壱(りょいつ)と言われる人物を重く用いた事に原因がありました。

呂壱は孫権から重く用いられていることを利用して、

重臣として活躍していた顧雍(こうよう)や朱然、歩隲(ほしつ)、

孫権の太子・孫登(そんとう)などを些細な罪を大きく取り上げて処罰していきます。

呂壱は諸葛瑾に対しても些細な罪で処罰してしまうのでした。

孫権はその後呂壱が悪事を企んでいることを知って処刑するのでしたが、

重臣達は孫権から心を離しておりました。

そのため孫権は顧雍や朱然、歩隲(ほしつ)らに手紙を書いて、

「俺が間違っているところがあれば遠慮なくその間違えを指摘して欲しい」と懇願します。

この手紙は諸葛瑾の元にも届きます。

しかし諸葛瑾は「私は軍人ですから政治のアドバイスはできません」と手紙を書いて

きっぱりと孫権の懇願を拒否。

孫権はこの諸葛瑾の手紙を読んでも諦めることなく、

必死にアドバイスをしてくれと頼み込んで、

なんとか諸葛瑾からの協力を得ることができました。

諸葛瑾は孫権からアドバイスしてくれとしつこく言われたため、

早速孫呉の政策に対しての批判と改善案を提案したそうです。

諸葛瑾は自らを軍人として思っており、

上記での戦場における活躍を考えると確かに外交官としての活躍よりも

軍人に近いのかもしれませんね。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

外交官としてよりも軍人としての活躍が多かった諸葛瑾

諸葛瑾に甘寧(かんねい)呂蒙(りょもう)凌統(りょうとう)のように

軍事の才能があるかどうか。

周瑜(しゅうゆ)や陸遜のように軍略があるかなどを問われれば、

う~んと唸ってしまうレンです。

しかし諸葛瑾は地味でもしっかりと重要な仕事をこなしていることから、

縁の下の力持ち的な存在だったのではないのでしょうか。

諸葛瑾は華々しい功績を残すことよりも、

地味でしっかりと与えられた仕事をこなす人物の方も

重要で大切である事を私達に教えてくれたのではないのでしょうか。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志・呉書 陳寿著・小南一郎訳など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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