『はじめての三国志』の読者の皆さんこんにちは!
2020年の東京五輪は新型コロナウイルスのせいで延期となりましたが、1年遅れで2021年7月23日(金)遂に開催されます。東京五輪については様々な意見がある事は承知ですが、参加する選手がこの瞬間に数年の歳月をかけ競技に死力を尽くすのは紛れもない事実でしょう。
そこで、はじめての三国志では、東京五輪での世界のアスリートの活躍を期待しつつ、近代五輪の苦難の歴史を振り返ってみようと思います。
五輪はクーベルタンの愛国心から始まった
近代五輪の父は、フランス人のクーベルタン男爵です。彼が子供の頃、祖国フランスは普仏戦争でドイツに敗北していました。
その敗北の要因の一つに、ドイツの青年に比較してフランス人の体格が貧弱で体力がないという問題があり、クーベルタンはフランス人青年の体力向上を目指し、スポーツを学校のカリキュラムに入れていたイギリスの制度を真似て、フランス運動競技協会連合という組織を立ち上げて、スポーツにのめり込んでいきます。
そう、五輪の第一歩は富国強兵を名目としていて、それはクーベルタンの愛国心から始まったのです。
古代オリンピックから着想した国際親善
スポーツに汗を流したクーベルタンですが、彼は同時に古代ギリシャ・ローマ文化おたくでもありました。おりしも1890年聖地オリンピアの発掘報告書を見たクーベルタンは、大昔、4年に一度、戦争を停止してまで地中海全域からアスリートが集まり技を競った古代オリンピックに大いに触発されます。
そして、オリンピック精神を現代に蘇らせ、スポーツを通して世界と交流しようというスポーツ国際親善の概念を産み出したのです。これが近代五輪構想誕生の瞬間です。
このように近代五輪とは、愛国心からの富国強兵というナショナルな基盤と肉体を鍛えたアスリートが国の枠を飛び越えて人間同士で友情を育むというインターナショナルな構造物というある意味矛盾した二つの理念から出来ていました。
かくして、近代五輪にはスポーツが先か国家が先か?個人の栄誉か?愛国心の発露か?というような問いが毎回のようにつきまとうようになるのです。
開催しないで消滅する所だった第1回大会
貴族の三男坊なのに行動力と情熱は無駄に多いクーベルタンは、近代五輪を開催しようと各地で精力的に運動します。正直、当初の評判はかんばしいものではなかったのですが、それでも、なんとか賛同者が集まり、古代オリンピックに敬意を表し第一回五輪をギリシャのアテネで開催するという所まで漕ぎつけます。
ところが当時も財政難だったギリシャ政府は、競技場も設備も整えられないとして、土壇場で開催地返上を言い出したのです。
「冗談じゃない!第1回目からケチがついたら、五輪構想自体が吹き飛びかねないじゃないか!」焦ったクーベルタンはギリシャ政府を納得させるために、信じられないほど五輪開催費を安く報告。
初代IOC会長のヴィケラスも、ギリシャの政治家とジャーナリストに第1回大会の意義を説きまくり、同時にスポーツの祭典をやれば世界中から観光客がアテネに殺到すると、早速商業主義的な事を口にして、開催地返上を思いとどまらせようとします。
この時はギリシャの王室の資金援助と、世界一の大富豪アベロフの莫大な寄付を得て、何とか第1回アテネ五輪開催に漕ぎつけます。1896年の事でした。こうして、波乱含みで始まったクーベルタンの手づくり五輪ですが、苦難はその後も山のように続くのです。
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【配信スケジュール】
第2回目:五輪の政治利用始まる!1936年ベルリンオリンピック
第3回目:観たいなら金払え!ビジネスになる五輪