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人柄が良かった曹真
曹真のとあるエピソードを紹介しましょう。曹真は若い頃同僚だった従弟の曹遵や同郷の朱讃が早くに亡くなったために、その子らに自身の封地を分け与えたというエピソードがあります。
また恩賞が足りない将兵がいれば自らの私財を分け与えました。このため曹真は将兵たちに信頼され、軍の結束も固かったのです。そう、曹真の強み、優れている点はこの「統率力」……人の心を十分につかむことができるポイントにあったと、筆者は思うのです。
曹操から見た曹真
ここで思い出して欲しいのが、曹真が曹操に直属の部隊「虎豹騎」の隊長として率いさせられたこと。曹操は武勇だけでなく、曹真のそういった人柄、人を思いやれる、そして人が付いてくる、そういった能力を見抜いていたのではないでしょうか。
だからこそ早くに直属の部隊を任せ、曹真に付いていく人物を早くに作ろうとした……そうすることが後の曹家、そして魏の力になることだと理解していたのだと思うのです。
そして曹真はその才をしっかりと伸ばし、反乱鎮圧に、防衛に、そして攻め手になった際の撤退時に、人と状況を見て判断が下せるだけの、そしてその判断に人を従わせるだけの統率力を身に付けたのだと思うのです。
受け継がれなかった可能性
ここで最後に、曹真の息子、曹爽について。
彼は最初こそ曹真に言われたように司馬懿と仲良くしていましたが、後々に司馬懿を閑職に回して朝政を牛耳るようになってしまいます。なぜ曹爽が司馬懿を閑職に追いやったのか……個人的に、曹爽は司馬懿にいつか貶められるという「怯え」があったのだと思うのです。
やられる前にやらなくては……そう思ったのは、曹爽には父親ほど人望がなかったからなのではないでしょうか。人を信じられなかった、人が付いてこなかった……だから、他人に怯えずにはいられなかった……そう思うともしかしたら、曹真の有能さは曹爽に継がれることはなかったのではないか、そんなもの悲しいことを考えてしまいますね。
三国志ライター センのひとりごと
曹真というと「守りの人」というイメージがあると思うので、この機会にぜひ筆者が主張したかったことを主張させて頂きました。それは曹真が守りだけでなく、鎮圧や攻め手でもしっかりと功を立てていること。
そしてそこから曹真の本当の強みは諸葛亮、司馬懿にも負けない統率力にあったのではないか……という、筆者の贔屓目込みではありますが、ちょっと語ってみたかった「曹真の有能さ」でした。
参考文献:魏書曹真伝
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