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五輪の政治利用始まる!1936年ベルリンオリンピック


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1936年ベルリンオリンピック(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦火に消えたオリンピアン

幻の1940年の東京五輪 いだてん

 

第12回オリンピックは東京に決まっていました。NHK大河ドラマ『いだてん』でも描かれた1940年の幻のオリンピックです。しかし、日支事変の泥沼にはまっていた日本は世界の非難と戦局の拡大で五輪どころではなくなりオリンピックを返上しました。

 

やがて、ナチスドイツのポーランド侵略を契機に世界は6年越しの第二次世界大戦に突入、1944年のロンドン五輪も中止されます。

 

日本は1941年の真珠湾奇襲を契機に大東亜戦争へと突入、五輪でメダルを期待された選手たちにも召集令状が届き、38名もの日本人オリンピアンが戦没しました。その中には、ベルリン五輪のサッカー日本代表として優勝候補スウェーデンに逆転勝利した「ベルリンの奇跡」松永行(まつながあきら)右近徳太郎(うこんとくたろう)竹内悌三(たけうちていぞう)もいました。

 

もちろん、当時の日本は国民皆兵、オリンピアンだから戦地に出さないのは特別扱いで、逆差別になるかも知れません。しかし、スポーツを通し、全世界の人々に勇気と希望を与える特別な力を持った38人のオリンピアンを兵士として戦死させた事はベストだったのか?kawausoは疑問に思わざるを得ません。

 

kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

初期の手づくり五輪は、世界に認知される事で巨大な広報媒体と化し、ナショナリズムを煽る世界各国によるメダル争奪戦の巷と化しました。さらに、ユダヤ人差別を隠蔽し、ナチスドイツの国威PRにIOCが手を貸した事で、オリンピックは巨悪を延命させる手助けをする事になります。

 

しかし、意図しない所でオリンピックは、アーリア人種の優越を説くヒトラーのプロパガンダを粉砕、白人も黄色人も黒人も関係なく、己の力のみで勝利を掴んだ者を惜しみなく讃える人種平等の精神を育んだのです。

 

次回は最終回、商業化する五輪について解説します。

 

参考文献:ざんねんなオリンピック物語

 

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近代オリンピック

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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