五輪の政治利用始まる!1936年ベルリンオリンピック

2020年9月4日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

近代五輪の生みの親:クーベルタン男爵

 

クーベルタンが普仏戦争で敗れたフランス人青年の体格向上の為に教育にスポーツを導入する事を思い付き、それにプラスして平和の祭典、古代オリンピックにヒントを得て立ち上げた民族とスポーツの祭典近代五輪。

 

当初こそ、費用が掛かりすぎる事やスポーツへの無理解から万博の添え物扱いだった近代五輪も、クーベルタンとIOC委員の尽力で、1912年のストックホルム大会から独立した大会として認知され、参加する国と地域が拡大していきました。

 

しかし、知名度が世界規模になった近代五輪は、強力な宣伝力を持つ媒体となり、それまで五輪に見向きもしなかった各国の政府が自国の優秀さを世界に認めさせる政治ショーとして利用するようになります。その頂点が1936年、ナチスドイツ政権下で開催された第11回ベルリンオリンピックでした。

 

吹き荒れるナショナリズム

紅茶一揆(イギリスの紅茶文化)

 

第1次世界大戦の中断を挟み、1920年、第7回ベルギーアントワープ大会が開催されます。しかし、900万人もの死者を出した大戦の直後にもかかわらず、大会では参加国のナショナリズムが大爆発。水球の表彰式ではイギリスの国歌が演奏されている間中、負けた地元ベルギーのブーイングが鳴りやみませんでした。

 

この傾向は第8回フランスパリ大会でさらに激しさを増し、特にアメリカチームの傍若無人さが目立ち、ラグビーのフランス対アメリカ戦ではフランスのブーイングが鳴りやまない事態になります。

 

この頃の五輪は、各国が国の威信を賭け最強の選手を派遣し、メダルの数で自国の実力を示すスポーツの戦争に変化していたのです。初期にはあったスポーツを愛好する個人が国籍を超えてお互いを称え合う穏やかな精神は影を潜めていきました。

 

政治利用の極みベルリン五輪

 

1936年第11回大会は、ドイツのベルリンと決定しました。しかし、この決定はすんなりなされたわけではありません。当時のドイツはナチス政権下の一党独裁国で総統アドルフ・ヒトラーの支配の下ユダヤ人の迫害・差別が公然となされていたのです。

 

1933年、ウィーンのIOC委員会では、ベルリンオリンピックを許容すれば人種差別を認める事になると異論が噴出。特にアメリカのIOC委員アーネスト・リー・ヤンキーは「アメリカは役員も選手もいかなる代表も送り込むべきではないとボイコットを要求。

 

ところが、それに対し、反ユダヤ親ナチ傾向のアメリカオリンピック委員会会長のアベリー・ブランテージが「ベルリンを視察してきたが、ユダヤ人差別はなかった。そもそも政治とスポーツは別、文句があればアメリカ選手団を送り込んでヒトラーの鼻っ柱をへし折るべき」と反論し、アメリカはベルリン五輪参加を表明、ヤンキーはIOCを追放されます。

 

実はヒトラーは、当初オリンピックをユダヤ人の興行と毛嫌いし開催に前向きではありませんでしたが、オリンピックで国威発揚を狙いつつ、大会期間中はユダヤ人差別を止めるというテクニックを駆使して、イメージの悪いナチスの印象を好転させるという宣伝相、ゲッベルスの意見を採用して、急遽五輪を歓迎。

 

敗戦から復活した明るく、強く、豊かなドイツを壮大なプロパガンダで演出。世界中から来たジャーナリストの目を欺いて見せたのです。ベルリン五輪は、人種差別というナチスの暴力の陰を覆い隠す照明装置に利用されました。

 

人種差別を打ち砕いた褐色の弾丸・ジェシー・オーエンス

 

ベルリン五輪は、ギリシャからの聖火リレーやプロパガンダ記録映画オリンピア等、アーリア人種の優秀性をことさら強調する内容でした。どうもヒトラーは古代ギリシャ人をアーリア人種と考えていたようです。だからこそ、ヒトラーはドイツ人選手団が全ての競技で金メダルを取り、アーリア人種の優秀性のPRに繋げたかったのですが、陸上競技でその望みは無残に打ち砕かれます。

 

陸上アメリカ代表の黒人のジェシー・オーエンス

 

陸上のアメリカ代表で黒人のジェシー・オーエンスが100m、200m、走り幅跳び、400mの4種目で次々に優勝し、ドイツの陸上選手を沈黙させたのです。ヒトラーは憮然とした表情で終始不機嫌でしたが、スタジアムのドイツ人大観衆はジェシーをオリンピックのヒーローと称え褐色の弾丸と呼びました。

 

ここには、古代オリンピックにも通じる近代五輪の素晴らしさがあります。人種も地位も身分も無関係に汝自身の力のみで勝て!ジェシーはこの精神を体現し、観衆は歓呼の声と惜しみない賞賛を贈ったのです。

 

ジェシー・オーエンスを襲う差別

 

しかし、ベルリン五輪の英雄は祖国アメリカでは全く歓迎されませんでした。南部出身の黒人選手のジェシーはアメリカ国民の根強い黒人差別に曝され、4つもの金メダルを持ち帰りながら歓迎会もなくアメリカ大統領ルーズベルトはジェシーをホワイトハウスに招待さえしませんでした。

 

帰国後に開かれたパーティー会場のホテルでは、夫妻は貨物用のエレベーターに載せられ、黒人専用のホテルで食事させられました。

 

ジェシーの写真も活躍も南部の新聞には一文字も書かれず、帰国した彼は妻子を食べさせる為に、自動車、プロ野球選手、馬、犬と競争させられるエキシビジョンレースで見世物のような扱いを受けながら屈辱に耐えて食いつなぎ、破産まで経験しました。アメリカの歴史の暗部をジェシーの逸話は私達に教えています。

戦火に消えたオリンピアン

幻の1940年の東京五輪 いだてん

 

第12回オリンピックは東京に決まっていました。NHK大河ドラマ『いだてん』でも描かれた1940年の幻のオリンピックです。しかし、日支事変の泥沼にはまっていた日本は世界の非難と戦局の拡大で五輪どころではなくなりオリンピックを返上しました。

 

やがて、ナチスドイツのポーランド侵略を契機に世界は6年越しの第二次世界大戦に突入、1944年のロンドン五輪も中止されます。

 

日本は1941年の真珠湾奇襲を契機に大東亜戦争へと突入、五輪でメダルを期待された選手たちにも召集令状が届き、38名もの日本人オリンピアンが戦没しました。その中には、ベルリン五輪のサッカー日本代表として優勝候補スウェーデンに逆転勝利した「ベルリンの奇跡」松永行(まつながあきら)、右近徳太郎(うこんとくたろう)、竹内悌三(たけうちていぞう)もいました。

 

もちろん、当時の日本は国民皆兵、オリンピアンだから戦地に出さないのは特別扱いで、逆差別になるかも知れません。しかし、スポーツを通し、全世界の人々に勇気と希望を与える特別な力を持った38人のオリンピアンを兵士として戦死させた事はベストだったのか?kawausoは疑問に思わざるを得ません。

 

kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

初期の手づくり五輪は、世界に認知される事で巨大な広報媒体と化し、ナショナリズムを煽る世界各国によるメダル争奪戦の巷と化しました。さらに、ユダヤ人差別を隠蔽し、ナチスドイツの国威PRにIOCが手を貸した事で、オリンピックは巨悪を延命させる手助けをする事になります。

 

しかし、意図しない所でオリンピックは、アーリア人種の優越を説くヒトラーのプロパガンダを粉砕、白人も黄色人も黒人も関係なく、己の力のみで勝利を掴んだ者を惜しみなく讃える人種平等の精神を育んだのです。

 

次回は最終回、商業化する五輪について解説します。

 

参考文献:ざんねんなオリンピック物語

 

関連記事:古代オリンピック1100年も続いた愛と欲望と狂乱の祭典を解説

関連記事:【古代オリンピック】魔のヘアピンで死者続出炎の戦車レースとは?

関連記事:【古代オリンピックの舞台裏】一攫千金を夢見たアスリートとコーチのスポ根物語

 

近代オリンピック

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso編集長

kawauso編集長

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

-近代オリンピック
-,