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伏龍と鳳雛(邪推)
さあてここで伏龍と鳳雛の意味について、筆者お得意の穿った見方をしてみましょう。
伏龍とは伏した龍であり、鳳凰とは鳳凰の雛です。天に昇れない龍はただの図体のデカい蛇です。鳳凰の雛も育たないままでは他の獣に殺されてしまうかもしれません。
天下を狙う劉備が欲しいのは図体のデカい蛇でも、まだ育っていない雛鳥でもありません。今すぐ使える人材をくれ!
とは思わなかったのでしょうか?
藁をもすがる
しかしこの時劉備は髀肉之嘆でも分かるように、年を取ったにも関わらず何もできていません。それこそ藁をもすがる思いで伏龍と鳳雛を求めたでしょう。
そして司馬徽もまた、208年、つまり赤壁の戦いの年にこの世を去っています。つまり司馬徽が伏龍と鳳雛を進めたのは、ある意味で遺言のようなものであったと思われます。司馬徽自身はホウ徳公と出会って数多くの学徒を育て上げることができました。
しかし機会に恵まれず、諸葛亮とホウ統は仕える先を見いだせていない……そこでこれ幸いと、訪れた、しかも人材不足で困っている劉備に押し付ける形を取ったのでは……と思います。曹操や孫権と違い、劉備の下でなら高確率で輝くことができるから、というのは、流石に穿った見方でしょうかね?
好好先生
そんな最期に心残りを果たしたのかもしれない司馬徽は、好好(よしよし)先生と言われていました。
何を言っても「よし」が口癖の彼は友人の子が亡くなっても「好」と言っているので、それを聞いた劉表は「世間では司馬徽を持ち上げているけれど、あれはただの書生だ」と推挙を断りました。
ただし司馬徽は劉表の行き着く先と政争に巻き込まれないようにこんな態度でいたとも言われています。
この態度から好好先生という故事成語が生まれましたが、はっきりした態度を取らない人物、転じて悪と戦う勇気が無い人物などを好好先生と言うと言います。こう言われているのを見て、ちょっと正史の記述が少ないのを見ると、司馬徽はそこまで三国志では重要視されていなかったのかな、なんて思います。
そう思うとホウ統や諸葛亮を学徒のようにし、劉備に水鏡先生と呼ばれる三国志演義での司馬徽は、中々に好待遇にされていたのかもしれませんね。
三国志ライター センのひとりごと
何だかんだ言いましたが、実は筆者は三国志演義での司馬徽がかなり好きです。伏した龍と鳳凰の雛を映し出した水の鏡、こう書き記すとかなりロマンがあると思います。正にその時、劉備に必要であるものを示した水鏡、そう考えるととてつもなく高揚してしまうのです。そう言った史書とはまた違ったロマンを感じさせてくれる、それこそ三国志演義ですね。
参考文献:の蜀書龐統伝 襄陽記 諸葛亮伝
世説新語 司馬徽伝
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