諸葛恪と周囲から見た彼の評価、なぜ天才は敬いの気持ちを持てなかったの?

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なぜ天才は敬いの気持ちを持てなかった?(1P目)




諸葛の血

諸葛一族

 

諸葛瑾は孫権を良く支え、周囲からもその人柄を慕われました。諸葛亮は国家の重鎮として称えられ、三国志を代表するような人物と謳われています。

 

諸葛誕

 

諸葛誕(しょかつたん
)
は直属の部下に死を厭わないほどに慕われました。それに比べると諸葛恪の問題点は、何よりも失態した際に庇ってくれるような人物がいなかったのがその性格を良く表していると思います。何よりも悲しいのが能力が劣っていたということはなかっただろうということ。その人格面での問題が、彼の後世での、そして当時での評価を下げているんだなぁ……と思うと、やりきれないものを感じてしまいますね。




諸葛恪の性格

三国志を楽しく語るライターセン様

 

そんな彼の性格を本当に、本当に良く表しているエピソードがあります。

 

呂岱(りょたい)

 

それは順当に出世した諸葛恪が呂岱(りょたい
)
と同僚になった時のお話。この時に孫権から後事を託された諸葛恪に、御年94歳とかいうベテラン過ぎる年齢となった呂岱はこう言いました。

 

「こんな時代ですから物事は10回考えてから行動しなさい」

 

しかしこれに諸葛恪は怒って

 

「論語でも二度考えれば十分だと言っている」

 

と反論したと言います。筆者は、この話こそ諸葛恪の性格を良く表しているものだと思っています。




敬いの気持ち

張昭

 

張昭とのエピソードは、孫権から言われたという建前があります。またロバと言われた逸話も、父への思いが感じられます。しかし呂岱との話を見ると、もうこの時既に諸葛恪には先人を敬うという思いが欠けているように思うのです。

 

孫権の遺言で丞相に就任する諸葛恪

 

諸葛恪は確かに才能があったでしょう、そしてそれを孫権から愛されたのも分かります。ですがその才能ばかりが先走り、他者を考慮できない、他人への敬愛が欠けています。そしてそれゆえに他人から親しまれず、敬われず、破滅に至ったのではないか……と思うのです。

 

確かに優秀ではあったけれど、それを操縦できる者がいなくなった時には既に彼の未来は決まっていたのかな、なんて思いを馳せずにはいられませんでした。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

諸葛恪伝は、最初の方はエピソードに飛んでいて見ていてとても面白いです。しかし後編に行けばいくほど、何だか見ていられないような思いにさせられます。

 

「失敗しそうだ」から「やっぱり失敗した……」となる、ある意味良い例とも言えるかもしれません。段々見ていられなくなる諸葛恪伝、この機会にどうでしょうか?

 

参考文献:呉書呉主伝 諸葛恪伝 呂岱伝

 

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【はじめての三国志平話】
三国志平話

 




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