諸葛恪と周囲から見た彼の評価、なぜ天才は敬いの気持ちを持てなかったの?

2020年9月18日


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諸葛恪の栄光と破滅

 

今回ご紹介するのは呉の諸葛瑾(しょかつきん)……の息子の諸葛恪(しょかつかく)です。諸葛の名に恥じない優秀さを持ち、呉王であった孫権(そんけん)からも可愛がられた諸葛恪。

 

呉の身内から反感を買う_諸葛恪

 

しかしその諸葛恪は周囲からどんな風に見られていたのか、彼の問題点はどこにあったのかをご紹介しましょう。そして彼の性格を良く表した一つのエピソードも、同時に見ていきましょうね。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「お父さんを馬鹿にしないで!」

呉お正月企画、お酒にまつわる逸話07 孫権

 

さて諸葛恪を語る上で欠かせないエピソード、それは呉王孫権のお酒の席でのやらかしです。この逸話は良く知られているので詳細は省きますが、酒宴で酔った孫権は一匹のロバを連れてきてその顔に「諸葛子喩(しょかつしゆ)」と書きます。

 

諸葛恪の栄光と破滅02 諸葛恪、孫権

 

諸葛瑾が面長でロバに似ていたことをからかったというアルハラエピソードですが、そこで諸葛恪は孫権に願い出て文字を足し、諸葛瑾のロバとすることで父の面目を立たせました。この話を聞いた人々は流石諸葛家の子だと称えたと言います。確かにここだけ見ると父親思いで頭の良く回る人物とも言えるでしょう。

 



アルハラの片棒を担ぐ(意訳)

諸葛恪

 

しかし、諸葛恪の逸話はこれだけではありません。彼の優秀さ……というか、相手をやり込める逸話をいくつかご紹介しましょう。

 

酒癖が悪い孫権

 

ある日孫権が(また)酒宴を開きました。この際に諸葛恪はお酒を勧める役をしていたのですが、張昭(ちょうしょう
)
にお酒を勧めた際に「年寄りに無理をさせるな、礼儀を知らないのか」とお酒を拒否。

 

張昭

 

そこでアルコールハラスメントに定評のある孫権は諸葛恪に反論させて曰く、

 

太公望(たいこうぼう
)
は老いても軍の役目を辞退しませんでした。張昭殿はもう戦にも出てないのに宴会でくらい先頭に立っても無理じゃないでしょう?」

 

こうしてすでに酔っていたにも関わらず、張昭は無言でお酒を飲んだと言います。

 

段々と見えてくる一面

諸葛恪

 

その他にも張昭を言い負かしたり、()イに反論したりととにかくエピソードに事欠かない諸葛恪ですが、彼の特徴として「頭がいい」というよりも「相手を言い負かしたい」というプライドの高さというか、もっと悪く言うとちょっと人格に問題ありな一面を覗かせる諸葛恪。

 

軍もしっかりと把握できていない諸葛恪

 

彼は孫権に大いに気にいられましたが、一方で周囲からは散々な評価をされていたのは注目するべきポイントです。

 

ロバ顔の諸葛瑾

 

父親、諸葛瑾曰く「家を大きくするけど潰すのもこの子だろう」

 

スマホをいじる孔明

 

叔父、諸葛亮曰く「あんな大雑把でいい加減な性格の諸葛恪に兵糧監督なんて無理だろ」

 

朝まで三国志2017表情 陸遜03 怒

 

陸遜(りくそん)曰く「お前の相手を人と思わない性格をどうにかしろ」

 

陸遜

 

ここまで注意された人物が三国志にいたでしょうか。身内だけでなく陸遜からまで言われると、ああ、問題があったんだな……と遠い目になってしまいそうですが、諸葛恪は周囲の心配も他所に成功を重ね、順当に出世、権力を握っていきます……そう、合肥で大敗するまでは。

 

合肥での大失敗

諸葛恪の栄光と破滅04 諸葛恪

 

252年、東興の戦い(とうこうのたたかい
)
で勝利した諸葛恪は、再び出撃しようと試みるも反対意見が続出。

 

軍事面でも才能を発揮する諸葛恪

 

それでもそれらを押し切って出撃した諸葛恪、結果は見事なまでに敵に欺かれての大敗北でした。

 

諸葛恪の栄光と破滅03 諸葛恪

 

これにより諸葛恪は周囲からの信頼を失うも、それでも反省などは一切せず、自分がいない場所で行われた人事のやり直し、再び軍を動かそうとします。

 

諸葛恪と孫峻

 

しかし既に彼に付いていく人はいなかったのです。孫峻(そんしゅん
)
によって諸葛恪は殺され、弟の諸葛融を始めとする一族も皆殺しにあっただけでなく、皇太子孫和の正妻の張氏が諸葛恪の姪であったために彼女と孫和まで巻き込むこととなりました。孫権に寵愛された諸葛瑾の息子の末路としては、何とも言えない最期となったのは言葉にできない顛末ですね。

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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