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陳寿はクリーンな諸葛亮を残したかった
さて、諸葛亮伝では、漢中攻略戦や漢中王即位、関羽の樊城攻めなどの情報がスッポリと抜けています。この部分を書くと、どうしても劉封の死に触れないわけにはいかず、諸葛亮ひいきの陳寿としては都合が悪くなりそうです。
そこで、大胆にも成都攻略後から、劉備の皇帝即位前までの諸葛亮の動向を切り取り、知りたければ諸葛亮伝以外で確認してね!としたのではないでしょうか?
また、諸葛亮伝は君主の伝以外では、唯一独立している巻なので、諸葛亮伝しか読んでいない人は、孔明の悪事を知らずに済ます事も出来ます。
陳寿の矜持として、あった事を無かった事にはしないにしても、おらが国の丞相、諸葛亮伝からだけは、ダーティーな孔明の逸話を消して美化したかった。つまり、陳寿は諸葛亮が好きだったのではないでしょうか?
三国志ライターkawausoの独り言
歴史家たるもの、嘘を書いたり事実を隠蔽したりはいけない!
でも、史実をどのように切り取って表現するかは、編集する人の裁量だよね?
どうも陳寿は、そんな風に弁明しているような気がします。
確かに諸葛亮伝には、ダーティな諸葛亮の逸話は載せてません!
でも、他にはちゃんと載せているのでいいじゃないですか?
私は隠蔽したり、捏造したりしていますか?いませんよね?
陳寿は、そう言いたいんじゃないですかね?
参考文献:正史三国志
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