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何進という存在
因みに何進の暗殺は「妹が心配だから」と一人で宦官たちの住んでいる宮中に向かったことで暗殺されたので、良く「妹頼り」「緊張感がない」酷い時には「愚鈍」とまで言われてしまうことがありますが、実は何進はそこまで無能ではありません。
黄巾の乱の際にはしっかりと防衛を行い、前線にも人員輸送や整備を行う、そして軍制改革も行い、また普段から部下に温情を持って接していたので多くの人に慕われていました。決して三国志演義の方で強調されてしまったような身勝手な人物ではないのです。
屠殺業を営んでいた?
と、ここで少し気になるのが何進、何皇后の職業。彼らは屠殺業を営んでいたとされて、そこから大出世を果たした人物たちというイメージがありますね。確かに失礼な言い方をすれば当時の時代では屠殺業は血に汚れることもあり、あまり良い職種とは言えなかったかもしれません。そこから皇后、大将軍ともなればそれは大出世でしょう。
しかし彼らは本当にただの屠殺業者だったのでしょうか?
何兄妹の能力
そもそもただの一業者が後宮に入れるほどの賄賂を渡せるのでしょうか?
またただの一般人が寵愛されたとは言え帝の妃になれるでしょうか?
つまり何兄妹はそれなりに財産を持っており、後ろ盾になるような名声もあったと思うのです。また何進の部下たちへの接し方、武人としてではなく管理者としての働き、何皇后の後宮内での立ち回りを見ていると、ただの一業者ではなく元締め、つまり経営者の方ではなかったか、と思えてなりません。
つまり地方豪族のような位置にいたのではないかと筆者は予想します。だからこそあそこまで何皇后は、何進は出世したのではないか……と思いました。
もしかして何進はイケメンでは?
さて最後にちょいと小話を。何皇后は霊帝の目に留まったこともあって、おそらくかなりの美人でしょう。また何進の孫に当たる何晏もナルシス……じゃなかった、顔立ちが良かったと思われます。
もしかして何進もまた、結構良い顔立ちをしていたのでは?
そう考えてみると容貌の良さも重役になる条件の一つと考えられていた古代中国で、いきなり何進が大将軍になるにまで出世したのは「見た目が良いから」という理由があったのでは……なんて、ちょっと妄想してみました!
三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志の前時代、漢王室時代の御兄妹について色々と考えを巡らせてみました。その中でもちょっと個人的に主張したいのは何進イケメン説!
どうもお肉屋さんのイメージで体格が丸く、凡庸な顔立ちにされてしまう何進ですが……どうでしょう、スラリとしたイケメン何進、どこかで出てこないかな?
参考文献:後漢書孝霊帝紀 皇后紀下 竇何列伝
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