積極的に人材登用を行い、優秀な人材を集めたことに定評がある曹操。
(三国志演義補正もあるが)数々の人々に慕われて名将たちが集った劉備。
しかし呉の王である孫権もまた色々な武将を従えていました。今回はそんな孫権のお抱え武将の中から、潘璋、を紹介しちゃいましょう。
この記事の目次
孫権に豪胆な性格を気に入られる潘璋
孫権の子飼いの将である潘璋。彼は若い頃は気ままな性格であり、同時に貧乏時代には「酒のツケは出世払いだ!(倍返しではない)」と言って飲み歩くほどの豪胆な性格でありました。
しかしその性格が孫権に愛され、重用されるきっかけとなったといいます。孫権、こういうタイプが結構好きですよねぇ。
孫権の期待に応える潘璋
そして孫権の期待に、潘璋は応えます。市場監視の任に付いた時には厳粛な態度で職務に当たり、潘璋が治める市には不正がまかり通ることはなかったと言われています……ツケはほら、後から払えば不正じゃないから大丈夫なんでしょう、たぶん。
また潘璋の部隊は統率に優れていて、兵たちの数以上の働きを見せることでも有名でした。そして潘璋自身も関羽討伐(重要)、夷陵の戦いなどで功績を重ね、孫権が皇帝になる時には右将軍に出世しました。
一転、三国志演義の潘璋
さてここまでは正史の潘璋。そして三国志演義の潘璋は……薄々気付かれている人もいるかと思いますが、関羽討伐に参加してしまっているだけに扱いはお世辞にも良いとは言えません。
孫権の部下として出てくるも目立った活躍はないばかりか、次にクローズアップされる時には関羽の武器の青龍偃月刀を褒賞として貰う……読者の嫌な予感は見事に当たり、その青龍偃月刀が目印となって関興に襲われるわ、
逃げた先でも関興がいるわ、何か分からないけど出てきた関羽の亡霊にびっくりしている間に関興に斬られてしまうのでした……何なんだ。
【次のページに続きます】