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行き過ぎた実力主義が下克上を産み出す
実力のある者がどんどん出世するのはちょっと見ると結構な時代に思えます。しかし、行き過ぎた実力主義というのは、要するに褒美を大量に出さないと味方になる人間がいない時代という事にもなります。
それだけならまだしも、守護大名が敵側に寝返らないよう多額の恩賞を与え、気持ちを繋いでいくという事にさえなり、手持ちの土地をどんどん手放していくうちに、幕府はどんどん貧しくなり、守護大名はホクホクという逆転した状態さえ生まれてきました。
これは、足利幕府だけではなく守護大名も同じであり、部下である守護代に恩賞を弾まないと真面目に動いてくれない事になります。さらに守護代は守護代で、その下の国人領主のような地侍に恩賞を弾まないと、合戦も出来ないという事になり、つまり、幕府は守護、守護は守護代、守護代は国人の顔色を窺い、機嫌を取らないと政治が出来なくなるのです。
上の人間が下の人間の顔色を窺いビクビクする、そう、これこそが下克上の土台でした。下からの「褒美だ!褒美くれ!」の突き上げに、幕府が音を上げたのが応仁の乱だとも言えるでしょう。
日本史ライターkawausoの独り言
頑張っても報われない現代社会も問題ですが、超実力主義の室町時代も問題が多いですね。しかし、現実問題、いかに、やりがいがある仕事でも、食べていく事が不可能なら続けられないのは事実です。
正当な評価はモチベーションに繋がり、モチベーションの強化は、もっと豊かになりたいという意欲と創意工夫を産み出すイノベーションに繋がります。そうである以上、努力が認められない日本経済の仕組みを見直し、超実力主義社会の室町時代に現代の我々が学ぶべき点はあると思います。
参考:Wikipedia
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