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室町幕府が弱いのは極端な実力主義のせいだった!

2020年10月24日


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室町幕府が弱い理由(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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行き過ぎた実力主義が下克上を産み出す

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

実力のある者がどんどん出世するのはちょっと見ると結構な時代に思えます。しかし、行き過ぎた実力主義というのは、要するに褒美を大量に出さないと味方になる人間がいない時代という事にもなります。

 

それだけならまだしも、守護大名が敵側に寝返らないよう多額の恩賞を与え、気持ちを繋いでいくという事にさえなり、手持ちの土地をどんどん手放していくうちに、幕府はどんどん貧しくなり、守護大名はホクホクという逆転した状態さえ生まれてきました。

 

幕府の旧式軍隊(兵士・モブ)

 

これは、足利幕府だけではなく守護大名も同じであり、部下である守護代に恩賞を弾まないと真面目に動いてくれない事になります。さらに守護代は守護代で、その下の国人領主のような地侍に恩賞を弾まないと、合戦も出来ないという事になり、つまり、幕府は守護、守護は守護代、守護代は国人の顔色を窺い、機嫌を取らないと政治が出来なくなるのです。

 

上の人間が下の人間の顔色を(うかが)いビクビクする、そう、これこそが下克上の土台でした。下からの「褒美(ほうび)だ!褒美くれ!」の突き上げに、幕府が音を上げたのが応仁の乱だとも言えるでしょう。

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

頑張っても報われない現代社会も問題ですが、超実力主義の室町時代も問題が多いですね。しかし、現実問題、いかに、やりがいがある仕事でも、食べていく事が不可能なら続けられないのは事実です。

 

正当な評価はモチベーションに繋がり、モチベーションの強化は、もっと豊かになりたいという意欲と創意工夫を産み出すイノベーションに繋がります。そうである以上、努力が認められない日本経済の仕組みを見直し、超実力主義社会の室町時代に現代の我々が学ぶべき点はあると思います。

 

参考:Wikipedia

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-戦国時代 (日本)