謎の人物?評価されたのに伝がない皇帝の外戚・呉懿




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

私怨で処刑ばかり宣告する法正

 

三国志にはいくつかの伝があります。ここで伝となるにはもちろん重要な役職についている、活躍した、などの色々な要因がありますが……評価をされているにも関わらず、しかもなんと皇帝の外戚にもかかわらず伝がない人物がいます。

 

呉懿

 

その人物とは呉懿(ごい)……または呉壱とも呼ばれる人物。今回はこの呉懿について、色々お話したいと思います。




呉懿ってどんな人?

二刀流の劉備

 

呉懿はエン州陳留郡(ちんりゅうぐん)の人物で、妹は劉備りゅうび)の妻となり、後に穆皇后(ぼくこうごう)となりました。ただ穆皇后は元々は劉焉(りゅうえん
)
の三男、劉瑁(りゅうぼう
)
の元妻であり、未亡人から劉備と再婚したために色々と大変だった(主に劉備の説得が)過去があります。

 

劉焉

 

この妹が劉焉の三男に嫁いだ経緯ですが、元々家族ぐるみの付き合いがあり、また呉懿たちの父親が早くに亡くなったために、劉焉の入蜀に家族揃って付いていき、そこで穆皇后が「この女性将来めっちゃ高貴な貴婦人になる!」と人相見に言われて劉焉が息子と結婚させた(そして旦那は早死した)という経緯があります。




劉備に降伏後

呉懿と劉備

 

そんな呉懿は劉璋に中郎将(ちゅうろうしょう
)
として仕えていたところ、劉備が蜀に侵攻。抵抗したものの最終的には降伏。その後は劉備陣営に迎え入れられ、護軍・討逆将軍に任じられました。また劉備が皇帝に即位した後には関中都督となります。

 

はてなマークな劉備と袁術

 

妹が劉備に嫁いでいるということもありますが、中々の出世です。しかし妹のことを抜きにしたら、呉懿の評価はどのようなものであったのでしょうか?

 

呉懿の評価

呉懿と魏延

 

呉懿の評価に関してですが、歴戦の将として知られており、街亭の戦い(がいていのたたかい
)
では「呉懿か魏延を大将に」と諸将に推挙されているほど信頼、評価をされています。第一次北伐時にも諸将に先鋒として推挙されるも、これは諸葛亮(しょかつ りょう
)
に退けられました。

 

蜀の魏延

 

しかし魏延と共に陽谿会戦で費耀(ひよう
)
を撃破するという活躍を見せ、左将軍に昇進。諸葛亮の死後は督漢中兼雍州刺史・車騎将軍・済陽侯という大官となり、仮節を授けられました(現代で言うならば元帥のような位置)。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

季漢輔臣賛(きかんほしんさん)では「硬骨漢かつ博愛の人であり、弱兵を用いても強敵を撃破して、苦境に陥ることなどはない人物であった」とまでも賞賛されています。武勇だけでなく、人格までもを評価、称賛されているのですね。

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 劉璋(りゅうしょう)
  2. 曹操の頭痛の原因は関羽?
  3. 賈詡
  4. 降伏する劉禅
  5. 三国志 象兵
  6. 部下をいじめる曹丕

コメント

  • コメント (2)

  • トラックバックは利用できません。

    • 板倉
    • 2020年 10月 30日

    曹丕が著した典論にはこう書かれている。何進の呉匡、張璋。袁紹の審配、郭図。劉表の蔡瑁、張允が佞臣に類すると。
    何進の部曲だった呉匡は董卓に何進の仇討ちを願い出た。呉匡は董旻と組んで何苗を討った。これにより何苗の軍は董卓に吸収された。
    こんな呉匡の子が呉班。そして従子が呉懿。
    後漢書にはこうある『一人罪有らば三族に延及す』と。
    思うに呉匡が董卓軍に与した事が原因で伝が立たなかったんじゃないかな。と言うか呉氏一族が挙って益州に逃亡した原因がこれかもしれない。

      • kawauso編集長
      • 2020年 10月 30日

      板倉さん
      現代の感覚だと、親戚がしでかした事で、
      どうして無関係な従兄弟やハトコまでまでが処罰されるのかピンと来ずに
      見過ごしてしまいますが、呉懿が立伝されないのも、
      呉匡の悪行とか、そんな理由かも知れませんね。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

“はじめての三国志公式LINEアカウント"




PAGE TOP