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この記事の目次
孫権、取り計らう
ここで(まだ有能な)孫権、動きます。周泰が如何に信用に足る人物であるか、諸将に知らしめようとしたのです。その一つに、幼平、があります。孫権は周泰を名前ではなく、字で呼びました。
目上の人から目下の人物に対して、これはかなり珍しいことです。孫権は周泰を字で呼ぶことで、自分が敬意をはらっている、と知らしめたのですね。この方法、名と字という文化が良く表れていて、当時、どれだけ名前が大事であったのかも分かる話だと思います。
酒宴の席で
そしてもう一つ。それは孫権大好きな酒宴の席でのこと。諸将を招いた孫権はその席で、その席で(重要なのことです)周泰に服を脱がせて12の傷を一つ一つ解説しました。
前述したように、周泰の傷は孫権を守るために負った傷。主君のために我が身すら投げうってできた傷です、孫権は由来を説明しながら涙しました。そして諸将はそれを見て、周泰のいうことをよく聞くようになったと言います。
ちょっと待って?
さあここラストで言い話風にしめた逸話を台無しにします!
見たくない人は飛ばして下さい!でも言いたい!
酒宴の席で大の男に服脱がせて傷を説明?
泣きながら?一つずつ解説?
いつもの呉王様酒乱のお話じゃないですかー!!!!
……と、なまじ酒宴の席でと言われるとどうしても「良い話」カテゴリーにされているのがちょっと疑問なこの逸話。せめてお酒抜きだったならもう少し捻らずに受け取れたのにな……と、思わずにはいられない、筆者からの魂のツッコミでした。
三国志ライター センのひとりごと
因みに周泰の伝は、決して多いとは言えません。しっかりとした手柄、勲功も立てていますが、そこまでド派手な人物とは言えず、個人的ですがむしろ堅実、中堅どころといった人物だと思われます。
しかし三国志演義では儒須で孫権を守るために許チョと一騎打ちをしたり、夷陵では弟(創作)を失うも甘寧を討ち取った沙摩柯を討ち取るなど、結構活躍している人物でもあります。そう考えると孫権を守ったという個人の経歴だけでなく、軍団を任されたりするなどの一面をもっと今後も評価されて欲しくなる人物でもありますね!
参考文献:呉書周泰伝 江表伝
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