こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
馬謖は後継者、姜維は軍事の責任者
諸葛亮は姜維を見出すと、最初に中虎歩兵という北伐軍の中核の軍兵、6000名を調練させています。そして、食料を担当する倉曹掾のポストに就けています。ここから考えられるのは、ちゃんと補給についての知識もある軍人としての育成です。
実際に諸葛亮の死後に、姜維は行政官で上役の蔣琬と組んで輔国将軍という三公の次席のポストについて蜀軍を動かす立場になります。しかし、あくまで姜維は軍人で蔣琬の部下という扱いであり軍の責任者です。ここからは、全面的な諸葛亮の後継者の姿は浮かび上がりません。
三国志演義を引きずると、どうしても姜維を諸葛亮の後継者と見てしまいますが、kawausoが考えるに諸葛亮の全てを受け継ぐ真の後継者は馬謖のみだったのではないかと思えるのです。
三国志ライターkawauso独り言
諸葛亮が自分の後継者と目していたのは馬謖だけだった。このように考えてみると、馬謖を失った後の諸葛亮が以前にも増して、ワーカホリック状態になり、健康を損ねた理由が見えてくるような気もします。
彼にとり、完全な後継者は馬謖だけであり、姜維は軍事面を全般的に任せられる人でしかなく、自身の激務を軽減させられる対象ではなかったのではないでしょうか?
参考文献:正史三国志
関連記事:史実の馬謖はどんな評価されていたの?南蛮戦は全て彼の功績だった?