死者45万人!恐怖のスペイン風邪に日本はどう対処した?

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スペイン風邪の心理的影響

 

スペイン風邪は、1918年から1920年まで3年間、断続的に流行しました。長期にわたる死の恐怖にさらされた結果か、1920年1月16日の新聞には、「流行性感冒から起こる精神病」という記事があり、患者の中に大声でわめき立てる、器物を壊す、家族を殴る、家出をする、刃物で自殺するというような、問題行動を起こす人がいると紹介されています。

 

また、東京の女学校でマスク着用が義務付けられた事を紹介する記事があったり、利に聡い商人が、屑切れのような布でマスクをつくり、30銭、35銭で売っていたのが飛ぶように売れたので、近頃は60銭、65銭に値上げしたとか、マスクは金を払って買わずに自分で作ればよいという主張も掲載されていました。

 

一方で、社会保障が脆弱な当時の世相を反映し、クリーニング店を経営する5人暮らしの一家をスペイン風邪が襲い家族が相次いで罹患し、主人まで感染し容態が重くなり、一家がたちまち生活の糧を失う様が紹介されたり…

 

スペイン風邪で重症の兄の看病が出来なくなり、弟が病院に連れて行くと嘘をつき、公衆トイレに連れて行き殺害したという生活苦からの事件が紙面に出ています。




日本政府の対応

 

人口の1%弱が死に、ライフラインを破壊したスペイン風邪ですが、当時の日本政府はどんな対応をしたのでしょうか?インフルエンザウィルスが発見されたのは、1933年と言われていますが、1918年当時も、ウイルスは知られていないものの、気道を侵す病原体が咳やくしゃみの際に放出されて感染源になるとは考えられていました。

 

当時の内務省衛生局は、スペイン風邪大流行の2カ月後にあたる1919年1月に「流行性感冒予防心得(りゅうこうせいかんぼうよぼうこころえ)」を公開しています。それによると

 

①咳やクシャミをすると目に見えない程微細な泡沫(ほうまつ)が周りに吹き飛ばされ、それを吸い込むとこの病気にかかるので、病人、(せき)をする人に近寄らない

②沢山人の集まっている、芝居、活動写真、電車等に立ち入らない

③咳やクシャミをする時はハンケチやてぬぐいなどで鼻と口を覆う

④スペイン風邪に罹った時にはすぐに休む事

⑤病人の部屋は別にして病室に入る時はマスクをつける

 

このように、現在と変わらない感染症対策が奨励されていました。

1つだけ違うのは、現在は常識の手洗いについての言及があまりない事ですが、当時は今のように水道が普及していないので頻繁な手洗いは難しかったようです。




外出自粛を求めなかった当時の政府

 

現在の新型コロナウイルスと類似点も多いスペイン風邪ですが、大きく違う点もありました。スペイン風邪の時、当時の日本政府は現在でいう外出自粛を国民に求めなかったのです。この点については、当時から批判があり、歌人の与謝野晶子(よさのあきこ)は以下のような政府対応への不満を大正7年(1918年)11月10日の横浜貿易新報に寄せています。

 

(中略)政府はなぜいち早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。

そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告(けいこく)し、学校医もまた同様の事を子どもたちに注意しているのです。

社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避らるべき、(わざわい)を避けずにいるかしれません。(中略)

 

こちらの文書は、スペイン風邪が日本で大流行し始めた初期の投書ですが、日本で新型コロナウイルスが流行し始めた時の風潮に二重写しのように似ています。

 

2020年の日本では緊急事態宣言の活動自粛の影響による経済の活動の縮小で、2020年4~6月期の国内総生産速報値は、物価変動の影響を除いた実質の季節調整値で1~3月期から7.8%、年率換算で27.8%減少と戦後最大の下げ幅を記録しました。

 

一方で、スペイン風邪が猛威を奮っていた大正後期の日本は第一次世界大戦の特需に沸いていました。1917年、国民総生産の成長率は9.0%、翌1918年は8.6%、1919年は5.0%と高成長が続いていたのです。感染が終息後の1920年は大戦の終結で輸出が大幅に減少し、マイナス成長に転じていますが、スペイン風邪が国内で45万人の死者を出した最中、日本経済は活況でした。

 

これを見ると、個別の学校休校などはあっても、全国一律の経済活動の自粛要請は無かったと考えられます。

 

経済もまた生命

 

このような事実を見ていると、当時の政府は第一次大戦の好景気を最優先して自国民の生命を軽く見ていると感じられるかも知れません。与謝野晶子の投書のように、国民にステイホームを呼びかけていれば45万人も死ななくて済んだのではないか?そのように感じる方もいらっしゃるでしょう。

 

しかし、経済活動の一律の自粛は、当時の日本経済では難しい事でした。現在よりも貧富の差が大きかった当時、経済活動が自粛すれば、たちまちのうちに飢えに直面する貧困層が大勢存在したのです。先に紹介した与謝野晶子はスペイン風邪流行の最中に幾つも新聞や雑誌に投書していますが、「死の恐怖」と題した記事には以下のようにあります。

 

悪性の感冒(風邪)が近頃のように激しく流行して、健康であった人が発病後五日や七日で亡くなるのを見ると、平生ただ「如何に生きるべきか」と云ふ意識を先にして日を送って居る私達も、仏教信者のように無常を感じて、にわかに死の恐怖を意識しないでいられません。

物価の暴騰(ぼうとう)によって、私達精神労働者はこの四、五年来、食物について常に栄養の欠乏を苦にし、辛うじて飢餓線を守ることに努力して居るのですが、今は其れ以上に危険な死の脅威に迫られて居るのを実感します。

 

最後の部分に物価の暴騰とありますが、これは大戦景気のインフレが大きいですが、スペイン風邪の影響で若い働き手が不足して、人件費が上った事も関係していました。

 

鉄道はスペイン風邪を拡大するのに決定的な役割を果たしました。もし、鉄道を減便していれば、初期の爆発的なスペイン風邪の感染拡大は防げたかも知れません。

 

でも、同時にライフラインの根幹である鉄道を休止したり減便したりしたなら、鉄道により運ばれる工業製品や食料品、医薬品まで供給が停滞したりストップする事になります。そうなれば、スペイン風邪ではなく供給のストップで失われる命が出てくるわけで、経済もまた命だったわけですね。

 

スペイン風邪はどうして忘れられた?

 

3年間で45万人もの死者を出したスペイン風邪ですが、流行が過ぎ去って後、その存在は長い間忘れ去られていました。その大きな理由は、スペイン風邪が記録に残すには地味な存在であった事があります。

 

例えば、大地震や台風は建物が炎上したり倒壊したり、水浸しになったり、地割れが起きるなど衝撃的な映像が撮れますが、スペイン風邪はマスクした人や大きな空間に並べられたベッドなど、緊迫感が伝わる表現にならないのです。与謝野晶子に仏教の無常観まで覚えさせたスペイン風邪は、目に見えない恐怖であり、メディア受けしにくい大事件だったわけです。

 

また、当時は第一次世界大戦という世界中で900万人が死亡する大戦争の真っ最中であり、同時に日本は空前の好景気でした。好調な経済が人口比1%を殺すスペイン風邪の影を薄めた可能性もあります。そして、決定的に大きいのがスペイン風邪収束2年後東京を襲った関東大震災でしょう。

 

首都東京を崩壊させ、数日間で10万5000人の犠牲者を出した大震災は死者数では、スペイン風邪の犠牲者の1/4ですが、人的被害のみならず経済的にも大打撃を与えました。このような経緯からスペイン風邪は、甚大な被害をもたらした感染症にもかかわらず、日本人の記憶の中からすっかり消えてしまったのです。

 

都市伝説ライター kawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今からおよそ100年前に猛威を奮ったスペイン風邪は、死者45万人という猛烈な被害を産み出しながら、あっという間に日本を去っていきました。当時もスペイン風邪を恐れ、また罹患して苦しんだ人々はいましたが、一方で国内は戦争特需による空前の好景気で、社会の雰囲気は明るいという不思議な状況でした。

 

しかし、スペイン風邪収束と同時期に大戦バブルも弾け、株価が急落して不景気に突入すると同時に、追い打ちを掛けるように関東大震災が発生、そのドタバタに挟まれたスペイン風邪は、いつしか人々の記憶から忘れ去られたのです。

 

参考文献:池上彰×増田ユリヤ 感染症vs人類の世界史 ポプラ新書他

 

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