死者45万人!恐怖のスペイン風邪に日本はどう対処した?




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2020年は新型コロナウイルスに席巻されたと言えるでしょう。世界全体では、2530万人が感染し1670万人が回復しましたが、84.8万人が死亡しました。感染者は1日26万件のペースで増加し死者も毎日5000人前後で推移しています。

 

スウェーデンのように集団免疫が出来た国もあれば、そうではない国もあり収束の見込みは立ちません。さて、日本もパニックに陥れている新型コロナウイルスですが、今から100年前に世界を襲っていたスペイン風邪というインフルエンザを御存じでしょうか?

 

このスペイン風邪は、1918年、1919年、1920年と3度にわたり襲来し、日本だけで感染者2380万人、死者は関連死含め45万人を出しました。現在、毎年流行するインフルエンザでさえ、死者は関連死を含めて1万人なのに、スペイン風邪は3年間で45万人もの人命を奪ったのです。この百年前のパンデミックに、当時の日本人はどう対応したのでしょうか?




スペイン風邪はアメリカから始まった

 

スペイン風邪と言いますが、実はスペイン風邪はスペインで発生したものではありませんでした。スペイン風邪の発生の地はアメリカ合衆国のカンザス州が有力だとされています。

 

大正7年(1918年)の3月頃、カンザス州では、インフルエンザ流行が収束する頃になっても、一向に感染者が減らず、逆に死亡者が増えはじめる現象が起きていました。もし、これだけならスペイン風邪はアメリカを中心に流行し、アメリカ風邪と呼ばれた筈ですが実際にはそうはなりませんでした。それはアメリカが第一次世界大戦に参戦していたからです。

 

アメリカはドイツのUボートによる無差別船舶攻撃により被害を蒙った事から、1917年の4月に第一次世界大戦に参戦、200万人ものアメリカ兵が欧州に渡ります。

 

そうです、アメリカは急遽(きゅうきょ)、兵士を大量に訓練する必要に迫られ、全米各地に兵舎を造って大勢のアメリカ青年を放り込み訓練しましたが、その中には当然、カンザス州もあり兵舎を通じて、インフルエンザの感染が爆発しそれが地域の学校、工場、基地にも拡大して行ったのです。

 

そして、インフルエンザに感染したものの無症状なアメリカ兵士は、そのまま欧州に渡り移動や戦闘行為を通して、インフルエンザウイルスが欧州全域にばら撒かれる事になります。

 

時を同じくして、欧州各国で正体不明のインフルエンザが大流行しますが、当時は世界大戦の最中なので、戦争に不利になる情報は統制して外に出ませんでした。

 

しかし、スペインは第一次世界大戦に参戦していないので、情報発信に制限がなく、その為にスペイン風邪の患者が多く発生しているかのような印象を与えました。こうしてスペインは、情報を統制していなかったばかりに、スペイン風邪の発生の地と誤認される不名誉を背負ってしまったのです。

 

ただ、スペイン風邪には中国発祥説もあります。それは、第一次世界大戦当時、フランスやイギリス軍が大勢の中国人労働者を雇用して、欧州全域で働かせていた為に、中国人を介してスペイン風邪が広まったという説で、その場合、今回の新型コロナウイルスと感染経路は似てきますね。




軽巡洋艦矢矧でクラスター発生

華族(近代日本の貴族階級)

 

日本では、1918年(大正7年)8月下旬からスペイン風邪の流行が始まり、11月には全国的な大流行になります。大正7年は普段なら流行が収束するはずの5月になっても、インフルエンザの疾患があちこちで発生。特に、軍の兵舎や紡績(ぼうせき)工場で働く工員、相撲部屋の関取など集団生活をしている人々の間で流行が目立ちました。

 

 

1918年11月スペイン風邪の猛威を伝える象徴的な事件が発生しました。第1次世界大戦に参戦した日本が、ドイツの植民地がある南洋諸島に派遣していた軽巡洋艦矢矧(けいじゅんようかんやはぎ)が、シンガポールで一時寄港した際、上陸した乗組員によりスペイン風邪が艦内に持ち込まれたのです。

 

狭い艦内でスペイン風邪はあっという間に大流行し、469人の乗組員中、看護手や軍医を含む65%の306人が感染発症し18%の48人が死亡するというクラスターが起きました。当時、矢矧には世界中で猛威を奮うスペイン風邪の情報は伝えられていましたが、艦長は「シンガポール市街を見せておきながら、上陸を許可しなければ士気にかかわる」として上陸を許してしまい悲劇が発生してしまったのです。

 

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スペイン風邪の症状

 

では、スペイン風邪はどのような症状を起こしたのでしょうか?

 

一般に見られるインフルエンザは感染後、1~3日の潜伏期間の後、突然の高熱と倦怠(けんたい)感、関節痛、腰痛、筋肉痛のような全身症状が起こり、少し遅れて鼻汁、喉の痛み、咳などの呼吸器症状が現れ、熱は38℃から39℃、あるいはそれ以上になりますが、通常は3、4日で解熱(げねつ)して1週間程度で自然治癒します。

 

スペイン風邪も基本的には同様の症状だったと想像されますが、当時の記録によると、非常に突然の発症、チアノーゼ、血痰(けったん)、鼻出血などの出血傾向がみられ死亡事例の肺を解剖すると、血液の混ざった水分で肺が満たされた肺水腫や細菌感染を合併した強い炎症の所見が見られたそうです。

 

つまり、基本はインフルエンザ症状だが、痰に血が混じったり鼻から出血したりするわけで、これは感染者を見た人がパニックになりそうですね。また、現在流行している、新型コロナウイルスとは逆に、スペイン風邪では、20歳~40歳代の青壮年層で亡くなる人が多く見られました。当時はインフルエンザは発見されてなく、当然、インフルエンザワクチンも抗菌薬もありませんから、治療は安静を保つ、輸液、解熱剤など対処療法が主でした。

 

スペイン風邪がライフラインを破壊

 

では、スペイン風邪が日本で猛威を奮った結果、日本人の日常生活ではどんな変化が起きていたのでしょうか?当時の記録によると、以下のような事が起きていました。

 

学校、役所、工場、炭鉱、鉄道を襲い猖獗(しょうけつ)を極め、郵便局では欠勤者が続出し電話業務が遅れた。全国の鉄道でも列車の運行に大きな支障が生じた。運転手が不足したのだ。その結果、街では食糧不足が問題視されている。

 

当時の日本の人口は5700万人で現在のおよそ半分でした。その中で、45万人と言う事は人口の1%弱が死んだという事であり、しかもその死者は20代から40代の働き盛りに多くまた、人が密集する学校、役所、工場、炭鉱、鉄道、郵便局に集中している事が分かります。特に食糧輸送の重要なライフラインを担う鉄道で多くの死者が出た結果、都市で食糧不足が生じ深刻な問題が起きています。

 

また、こんな事態も起きていました。医師、看護婦は真っ先に感染し、多くの医療機関では診療は身動きが取れなくなった。入院患者の給食も滞った。しかし、昼夜を問わず患者は増え続け、火葬場では焼け残しが出る程で、遺族は仕方なく地方の火葬場で荼毘(だび)にふそうとしたため上野駅や東京駅では、棺桶(かんおけ)が山積みになった。

 

医療機関の崩壊や、死者の急増により火葬場の遺体焼却が間に合わずに、地方で荼毘に付そうと上野駅や大坂駅に棺桶が山積みになったようです。

 

実は、日本で流行したスペイン風邪は当時、本州の隅々まで張り巡らされていた鉄道網を通じ、大量の人間が密集して移動する事で3週間という短期間で日本中に蔓延した事が分かっています。ある時には、神戸のある神社のお守りを買えばスペイン風邪に感染しないというデマを信じた大衆が大挙して鉄道に押し寄せ、そこで数千名が一斉に感染するようなクラスターも発生していました。

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