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この記事の目次
蒙古兵の強さの秘密6:伝統のパルティアンショット
蒙古騎兵は、敵をおびき寄せるために、あえて退却のふりをする事がありました。これに敵が乗って追撃してくると蒙古騎兵は、ある程度距離を引き離してからいきなり真後ろを向いて、矢を放ち追撃する敵を射殺したのです。
これは、パルティアンショットと言い西アジアに栄えたパルティア人騎兵が用いたものですが、やがて遊牧民に伝播していき、モンゴル騎兵の必殺術になりました。
蒙古兵の強さの秘密7:戦術の柔軟性
遊牧民であるモンゴルですが、戦う上で必要な技術は積極的に敵から吸収しました。それは、攻城兵器である投石機や、火薬兵器、日本との戦いでは船も用います。この戦術の柔軟性も、モンゴルがユーラシア大陸の大半を支配する原動力でした。
蒙古兵の強さの秘密8:投降兵を盾に使い兵力を温存
モンゴルは、支配地域を拡大するに従い、投降した敵兵力を最前線に投入して盾としました。文永・弘安の役でも、主力は高麗兵であり、蒙古騎兵は多くありません。これだと相対的に士気は低下しますが、蒙古騎兵は数を減らさなくて済み、兵力を温存できるのです。
蒙古兵の強さの秘密9:防弾チョッキ
蒙古騎兵は、鎧をつけずに革製のコートを身に着け、内側に粗絹を縫い付けて、綿の詰物をするなどしていました。これだと、矢を跳ね返す事は出来ませんが、防弾チョッキのように矢の貫通力を軽減でき、矢が刺さっても軽傷か無傷で済んだのです。
蒙古兵の強さの秘密10:情報収集力
モンゴル騎兵にとり、戦うのは最後の手段でした。そのために、モンゴル軍は情報収集を重視し敵を内応させたりして、敵軍をガタガタにしてから、攻め込んでいました。
時には、あえて自分達を残忍な集団として宣伝する事で敵を怯えさせ、戦わずして降伏させるような高等計略まで使用したそうです。欧州では、蒙古騎兵は人食いの地獄の使者と呼ばれて、恐れられましたが、そのような宣伝は、外ならぬモンゴル人が撒いたのかも知れません。
世界史ライターkawausoの独り言
以上、蒙古兵の強さについて、解説してみました。これらの長所があったからこそ、モンゴルは短期間で世界を席巻する大帝国を築き上げる事が可能になったのです。
参考:Wikipedia他
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