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武田信玄がヒャッハーだった説はどこまで本当?

2020年12月6日


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武田信玄がヒャッハーだった説(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

悪逆非道な戦国大名、世間並みの道徳など持ち合わせない破廉恥漢(はれんちかん)。武士の風上にもおけない卑怯者、武田信玄は、そのライバル達から散々に罵倒されてきました。それらは、実際に信玄の残忍で酷薄な所業に貼られた評価だったのでしょう。

 

しかし、信玄はそんな事は百も承知で、ただ、領国の民を守れればいいと、それだけを念じて30年もの間、修羅の道を突き進みました。すくなくとも、その間、甲斐は豊かであり領民は幸福でした。信玄は、人の嫌がる事を進んで全うし52年の生涯を閉じたのです。

 

参考:Wikipedia他

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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