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リターンがもらえなかった黄家
諸葛孔明は赤壁の戦いで呉の孫権について、曹操を打ち破る事に成功し、荊州に地盤を得た後、益州を陥れる形で劉備の死の直前には、丞相(総理大臣)に昇進して位人臣を極めます。売れ残りニートの時代を考えれば、上等の部類に入る大出世です。
ここまで出世したのだから、当然、黄一族は諸葛亮の引きで蜀でデカい顔をしたかと思いきや、そうでもないようです。魏・呉・蜀の三国で最弱の蜀では、一族で贅沢をしているような経済的な余裕はなく、諸葛亮は、国力の大半を北伐と呼ばれる魏討伐作戦につぎ込みます。
むろん、そんな事をしていながら私腹を肥やす事は出来ないので、孔明は皇帝からもらった褒美以外は役職手当だけで生活し、財産としては桑畑800株と痩せた土地が15頃あるので、ほかになにもいりません。と劉禅に上奏する有様でした。
こうしてみると黄家は、とても諸葛孔明を通して甘い汁を吸えなかったように見えますので、随分、お金を使ったわりにリターンは少なかったのではないでしょうか?
もっとも甘い汁は吸えなかったけど、三国志史上の忠臣として孔明が讃えられているので、知名度的には、大きな見返りがあったとは言えますね。
『新解釈・三國志』の見どころ
奥さんの家が圧倒的に名家であり、自分の実家にはほとんど力が無く、自分自身も自立できずに食わせてもらっている。この状況だと、旦那としては、奥さんに後ろめたいし気後れするでしょう。
ちょっと気の強い奥さんなら、旦那の尻を叩いて、おらおらちゃんと働け!と発破をかける鬼嫁になるような気もします。正史三国志には残されていませんが、史実の孔明も少なくとも劉備に仕官する頃までは、奥さんに頭が上らない恐妻家だったのではないでしょうか?
参考文献:正史三国志
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