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【秦が滅んだ理由】吸収された六国の人民が秦に馴染めなかった


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秦が滅んだ理由(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



中華は統一!しかし国家総動員は続く

始皇帝

 

紀元前230年に韓を滅ぼしたのを皮切りに、秦はライバル達を次々に滅亡に追い込んでゆき、紀元前221年には遂に中華を統一します。本来ならば、中華を統一した時点で、秦は商鞅以来の国家総動員を緩めるべきでした。そもそも商鞅が秦を強くしたのは、六国に負けない国力を得る為であり、それが滅んだのだから、厳しい政策はお払い箱でいいのです。

 

 

しかし、法治主義に慣れてしまい、これが当たり前になった秦は国家総動員を止めるどころか、秦の過酷な法を征服したばかりの六国にそのまま課してしまいました。すでに、先祖の時代から過酷な法に慣れている秦人と違い、六国の人民は秦の法律に慣れてはいません。

 

次々に法律違反を犯し、処罰されていきます。

兵士と禰衡

 

また、秦の派遣してきた役人は、戦争で手柄を立てた軍功地主(ぐんこうじぬし)と呼ばれるヒャッハーが多く、法を拡大解釈して人民を処刑し、私腹を肥やすケースが多くありました。もちろん、非人道的な什伍の制も征服した六国で実施され、征服された途端に自由を奪われ、法律でがんじがらめにされた六国の人民は不満を爆発させていきます。

三国志のモブ 反乱

 

そんな最中、紀元前210年に絶対支配者の始皇帝が崩御(ほうぎょ)。人民の不満は爆発し、翌年の陳勝呉広(ちんしょう・ごこう)の反乱へと繋がっていくのです。

 

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漢帝国が貫いた無為

 

さて、秦が崩壊した後、8年の動乱を経て漢の高祖劉邦(りゅうほう)項羽(こうう)を破って天下を統一しますが、その後、劉邦は積極的な国家改革をせず、半世紀以上も人民を休息させました。ここには、やはり、急激な改革が秦帝国を崩壊させた事への反省を見る事が出来ます。

 

村人(農民)

 

秦を強くする為に商鞅が用いた政策を、始皇帝が中華統一の時点で停止し、六ヵ国に対しては旧慣温存(きゅうかんおんぞん)で徐々に改革していく事にしていたら、万里の長城建設や、驪山陵(りざんりょう)阿房宮(あぼうきゅう)の造営があっても、秦は滅びなかったのではないかと思います。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

元々、秦を強国にする為に商鞅が敷いた富国強兵路線、法治主義。しかし、それが完全に秦人と同化してしまい、中華を統一した後も戦時体制を止められなかった点に、秦帝国の悲劇があるのではないでしょうか?

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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