天道思想とは?道教との関わりや天道思想と易姓革命の歴史的意義

2021年1月8日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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孔子と儒教

 

中国の思想というと、ぱっと思いつくのは「道教(どうきょう
)
」や「儒教(じゅきょう
)
」だと思います。そしてその源流や根本的な考え方の基礎になっているのが「天道思想(てんどうしそう
)
」です。

 

天道思想とは?

 

天道思想とは、この世のすべての理を「天命」といい、それを天地の支配者である「天帝」が定め、人はそれに従うものであるとする考え方です。そもそも「天道」とは太陽が空を通過する道のことを指します。

 

太陽をはじめとする天体や星の動きは自然の摂理に則った規則性に基づいたものであり、人の手では変えることのできないものであると考えられていました。これらの「天道」、「天命」、「天帝」というキーワードが結びついて「天道思想」を形成しています。

 

天道思想と道教との関わり

 

漢民族の伝統的な宗教である「道教」には、宇宙と人生の根源的な不滅の真理と捉えられている「道(タオ)」という概念が中心にあります。道について詳しく説明すると、道という漢字は「辶(しんにょう)」と「首」の2つから構成されています。

 

「辶」はものごとの終わりを意味し、「首」はものごとのはじまりを意味する字です。「道」の意味するものは、はじまりと終わりが同じ字の中にある「太極」、つまり「この世には必ずはじまりと終わりが存在する」という理を表していると言えます。

 

道教が最終的に目指すものは、この「」と一体になること、つまり「自身が理そのものになる=不滅」ということです。それを具体的に表したものが、仙人となって不老不死(もしくは不老長寿)を得ることです。これを「神仙」といいます。

 

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神仙思想に深く傾倒した始皇帝

不老不死を求める始皇帝

 

この神仙思想に深く傾倒していったのが、秦(しん)王朝を建てた始皇帝(しこうてい)です。

 

徐福

 

始皇帝は徐福(じょふく)という道士(道教の修行を行っている人)から不老不死の秘薬が東方に存在するという進言を受け、その探索を命じました。それには3千人という人手と、莫大な食料と財宝を投じたとされていることから、始皇帝がどれほど自身の寿命を重要視していたかがわかります。

 

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儒教への発展

孔子の弟子であり文学が得意な子夏

 

一方でこうした天道思想の考え方を実際に世の中の仕組みに活かそうとしたのが「儒教」です。儒教の基本的な考え方は「徳」と「秩序」を非常に重んじることにあります。言い方を変えると、「人の道」とも言えるのかもしれません。

 

これらは仁・義・礼・智・信の「五常」の徳性や、「五倫」と言われる父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の5つの人間関係の基礎によって表されています。

 

予め定められた秩序を守り、人のあるべき姿を徳目として掲げることで、「徳治主義(とくちしゅぎ)=王道による治世」によって世を治めることが儒教の理想とされています。

 

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孔子の思想や説話

 

儒教の中で最も有名な人物といえば、論語を著した「孔子(こうし)」が挙げられると思います。孔子の思想や説話には、「人とはこうあるべき」や、「世の理とは」といった表現が多く出てきます。つまり孔子は、人やものごとのあるべき姿を理として定め、それを実行することで徳治主義が実現することを理想としていました。

 

兵士と戦術

 

しかし、孔子がいきた時代は、策謀が渦巻く春秋戦国の国盗りの時代であったため、武力によって国を治める(=覇道)と尽く対立したため、各国の君主たちから迫害され流浪を余儀なくされました。しかし戦乱が徐々に収まり、時代とともにその捉えられ方は変化していきました。

 

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易姓革命の成立

 

天道思想は中国において皇帝が王朝を建てる際の大義名分の拠り所と、されるようになっていきます。天道思想の根本は、この世の理である天命を、天地の支配者である天帝が定めると冒頭に述べました。

 

この考えから派生して、王朝とは、天帝からその徳行を認められた皇帝が天帝に代わって地上を治めるものへと変化していきます。こうした中で生まれてきたのが、「易姓革命(えきせいかくめい)」です。

 

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易姓革命とは?

紂王

 

易姓革命とは、天帝に代わって地上を治めていた皇帝が、その徳を失ったことによって、新たに天帝に選ばれた皇帝が古い王朝を倒して新たな王朝を建てるものです。これは周(しゅう)王朝を建てた武王(ぶおう)が、殷(いん)(商)の紂王(ちゅうおう)を滅ぼしたころから唱えられるようになってきました。

 

皇帝に就任した曹丕

 

その方法には、前述の武力による「放伐(ほうばつ)」と、後漢の献帝(けんてい)が魏の曹丕(そうひ)に皇帝の位を譲った「禅譲(ぜんじょう)」の2通りがあります。ここの重要になるのは、帝位の継承が血統によって行われるものではないということです。

 

王朝が同じであれば、帝位は皇帝の子孫へと受け継がれていきます。しかし易姓革命においては血縁とは無関係に、徳行(実際は武力)によって受け継がれていくということです。つまり、易姓革命の実態とは、武力によって王朝交代が行われることを事後的に正当化する大義名分にも成り代わっています。

 

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天道思想と易姓革命の歴史的意義

劉邦

 

こうした理論が存在したからこそ、劉邦(りゅうほう)・朱元璋(しゅげんしょう)といった平民出身者や、曹丕・楊堅(ようけん)といったそれまで王朝の臣下だった人物たちが自己の王朝を建てることを正当化できたと言えます。このように、天道思想は世の中の理を表すものから、王朝交代を正当化する理論へと変化していきました。

 

炎上する城b(モブ)

 

こうした流れは、歴史的に見て非常に重要であると考えられます。なぜなら、中国で起きた反乱はこうした理論に則って起こされ、それが歴史の転換点となったこともあるからです。

 

張角は歴史の表舞台に登場

 

一つ例を上げると、後漢の時代に太平道の教祖であった張角の起こした「黄巾(こうきん)の乱」があります。

 

黄巾の乱に巻き込まれる若し頃の程昱(ていいく)

 

張角は自分たちの組織をまとめる上で、「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉(蒼天はすでに死す、黄天まさに立つべし 歳は甲子に在りて、天下大吉)」というスローガンを掲げました。

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

この解釈には様々ありますが、大まかに意味を説明すると「蒼天(これまで地上を治めていた漢朝の徳行)は死に(地上に存在するべきではない)、黄天(徳行を成そうとする我々黄巾党)が今こそ立ち上がる(王朝を建てる)べきである、干支が甲子(きのえね)の今我々が立ち上がることで、天下は治まる」となります。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

すなわち、張角(ちょうかく)は自分たちの決起を「易姓革命である」と捉えていたのではないかと考えることができます。この反乱によって漢朝の権威が地に堕ち、三国時代の幕開けとなったことを考えると、非常に重要な意味を持つと言えるでしょう。

 

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黄巾賊

 

 

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