三国時代の空には仙人たちが舞っていた!?

2018年8月1日


 

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仙人

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)』には度々不思議な力を持つ者が現れます。空を飛んだり獣に化けたり、死んだかと思えば生きていたりとつかみどころのない存在である彼らは仙人や仙人の卵である方士・道士と呼ばれる人々。そんな不思議な力を持つ彼らですが、実際に三国時代には仙人が存在していたのでしょうか?その真相に迫っていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも仙人とは?

そもそも仙人とは

 

 

そもそも仙人とは何ぞ?

 

と思う人も少なくないでしょう。仙人といえばお爺ちゃんのイメージですが、男の仙人だけではなく、女の仙人もいたようです。そして彼らは方術と呼ばれる不思議な力を持ち、かつ不老不死であったのだとか。そんな仙人たちも元は我々と同じ普通の人間で、とある特別な修行を経て仙人となったのです。

 

水滸伝の包道乙 仙人

 

その特別な修行というのは、清浄な気で満たされた山の上でただただ自然の「(たお)」に身を委ね、宇宙の真理を悟ること。つまり自然の摂理にあらがわずに自然と一体化しようとするのです。

 

具体的に何をするかというと、自身が本来持っているはずの「道」を回復すべく、「気」と呼ばれるエネルギーを体に集めようと植物や鉱物を捏ねた薬を作って服用したり、陰と陽の気の均衡を保つために男女が体を重ねたり、体内の気を巡らせるために太極拳のような特別な呼吸法をともなう体操をしたりといったことを日々繰り返すのです。彼らはこのような修行を積み重ねるうちに病を治す薬を作ることができるようになったり、先を読む力を得たり空を飛んだりすることができるようになっていきます。このように自然と一体化し、方術を身につけた者だけが仙人を名乗ることができるのです

 

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正史にも登場する仙人

正史にも登場する仙人と曹操と左慈

 

『三国志演義』に登場する仙人といえば左慈(さじ)でしょう。左慈は正確にはまだ方士の身なのですが、その方術は仙人レベルと言ってもいいでしょう。彼は東晋の道士・葛洪(かつこう)が著した『神仙伝』でも紹介されています。左慈は『三国志演義』で曹操(そうそう)の前に現れます。

 

苛ついている曹操

 

曹操への貢ぎ物として南から運んできた蜜柑が重たいとこぼす者たちの声を聞き、蜜柑を軽くしてみせた左慈。曹操が蜜柑の皮をむくとどれも中身が入っていません。怒った曹操は左慈に他の蜜柑の皮をむいてみるように命じますが、左慈が蜜柑の皮をむくと熟れた実がしっかり入っているではありませんか。これを見た曹操は左慈の力に興味を持ち、その力を手に入れる方法を教えてもらおうと考えて歓待します。

 

しかし、曹操が食事をいくら与えても左慈は満足せず、「方術の真髄が詰まっている『遁甲天書』が欲しければ、劉備(りゅうび)に天下を譲ることだ」と言い出す始末。流石にブチギレた曹操は左慈を牢に閉じ込めてしまいます。しかし、拷問を加えても食事を抜いても平気そうな顔をしている左慈。あまつさえ、牢に鎖で繋がれていたはずの左慈が突如曹操の宴会に現れて方術を使って大暴れ。客人たちが呆気にとられているうちに立ち去って行ったのでした。

 

怒る曹操

 

 

曹操は再びブチギレて左慈を捕らえるように許褚(きょちょ)に命じますが、てくてく歩いている左慈を許褚がいくら走って追いかけても両者の距離は一向に縮まらず、ついに左慈は羊の群れの中に身を隠しました。

 

羊の血を吸う曹操

 

許褚は仕方がなくすべての羊の首を落として始末して去りましたが、羊飼い子どもがそれを見て泣き出します。すると羊飼いの耳元で「首を胴体につなぎなさい」との声が。羊飼いが言われたとおりにすると全ての羊が生き返ったのでした。

 

これを聞いた曹操は左慈の人相書きを配布して指名手配。すぐに左慈は見つかってしまいます。曹操はさっそくその首をはねようとしますが、200…300…ぞろぞろと左慈が現れるではありませんか!しかし、曹操はこんな術に惑わされるかと全員の首をはねます。すると、落とした首から煙がもくもくと立ち上り、みるみるうちに左慈の姿に変わって曹操の死を予言。

頭痛に悩む曹操

 

呼び寄せた鶴に乗って左慈が去っていったかと思うと突風が吹き、300人もの死体が突然曹操に襲い掛かりました。あまりのことに驚いた曹操は気絶。その後病に臥してしまいました。リアリティ溢れる描写が多い『三国志演義』で突如現れたこの仙人に驚いた人も少なくないでしょうが、実は左慈は正史である『後漢書』でも伝を立てられています

 

三国志演義_書類

 

そして『後漢書』でも『三国志演義』に負けず劣らずの方術を曹操の前で披露しているのです。

 

春秋左氏伝

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

流石に裏打ちされた事実しか取り上げないと言われた陳寿(ちんじゅ)の『三国志』に左慈の姿は見られませんが、それでも『三国志』に注を付した裴松之(はいしょうし)は方技伝の末尾に左慈の伝をつけ足しています。左慈の他にも三国時代には不思議な力を持つ者がいたらしいということは正史をはじめあらゆる文献から伺えます。三国時代には仙人たちが当たり前のように空を飛んでいたのかもしれませんね。

 

 

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赤壁の戦い

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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