ヒトラーは「我が闘争」の税金から逃走ってホント?




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ジェームズ・カワポン

 

20世紀世界の狂気の独裁者と言えば最初に名前が挙がるのがアドルフ・ヒトラーです。極右政党、国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスを率い、1933年に政権を掌握してより12年間ドイツを独裁的に支配し、第2次世界大戦の引金を引きました。

 

しかし、ヒトラーには政治家以外にも顔がありました、それが作家としての顔で、代表作「我が闘争」はドイツ国内で200万部も売れたそうです。

 

ところがヒトラー、本が売れた事に有頂天になって税金対策を考えなかったので、税務署から莫大な納税を請求され、税金逃れに悪戦苦闘する羽目になるのです。




愛国者ヒトラードイツ軍に志願

 

アドルフ・ヒトラーはオーストリア出身で、1914年に勃発した第1次世界大戦にドイツ軍に志願して従軍。伝令兵になります。最終階級は伍長でしたが、勇敢な性格で志願兵としては異例の一級鉄十字勲章も受けていました。

 

しかし、戦線で毒ガスを受けて負傷、野戦病院で治療を受けている間に戦争は終わります。ドイツは敗北して莫大な賠償金を課せられました。愛国者だったヒトラーは失意の淵に沈み、戦後は魂が抜けたような状況だったそうです。

 

ヒトラーの元上司は、そんなヒトラーを心配し、軍の諜報員としてヒトラーを国家転覆を企む極右政党、ドイツ労働者党の諜報員として潜入させます。これが、ヒトラーの運命を大きく変えてしまいました。




ドイツ労働者党に入党する

君主論

 

ドイツ労働者党は、党員50名程度の弱小極右政党でしたが、ヒトラーはその演説を聞くうちに感銘を受け、正式に党員として加入。その弁舌の巧みさから、次第に党幹部として出世して行き、1920年には軍を辞めて党員一本で活動するようになり、1921年にはドイツ労働者党の党首となります。言うまでもなく、このドイツ労働者党は、後の国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスの前身でした。

 

当時のヒトラーは武装闘争路線を諦めておらず、1923年にはミュンヘンで武装蜂起して軍事政権の樹立を目指しました。しかし、ナチスの過激路線に警察や軍は賛同せず、武装蜂起は失敗してヒトラーは逮捕。ドイツ労働者党も非合法組織として解散させられ、ヒトラーは禁錮5年の判決を受けて、ランツベルグ刑務所に服役します。

 

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ヒトラー口述筆記で我が闘争を書き上げる

水滸伝って何? 書類や本

 

しかし、ミュンヘン一揆の失敗はヒトラーに多大な示唆を与えました。ヒトラーは武装闘争路線を放棄し、民主主義の手続きを踏んで合法的に政権を奪取し、その後に議会を停止して一党独裁を目指す事を決意したのです。

 

さらに、獄中の暇に任せて、ヒトラーは口述筆記で一冊の本を完成させます。それが「我が闘争」でした。

 

我が闘争は、ユダヤ人に対する誹謗中傷を除けば、強いドイツを取り戻そうというありきたりな内容でしたが、意外にもヒトラーオリジナルの言葉はほとんどなく、当時の極右活動家の演説で、ヒトラーが気に入った言葉を大量に引用したという、今でいえばキュレーションのような手法で執筆されました。

 

ところが、こんな名言コピペみたいな本が当時のドイツでは爆発的にヒットしました。ヒトラー個人が手にした印税は、123万ライヒス・マルク、現在の日本円で換算すると25億円にもなる巨額なものでした。

 

刑務所を出たヒトラーは無一文になるどころか、個人としては大金持ちだったのです。

 

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我が闘争が売れた理由

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では、我が闘争がどうして当時のドイツ人にウケたのでしょうか?

理由はベルサイユ講和条約における連合国の騙し討ちがありました。

 

第2次大戦と違い、第1次世界大戦でのドイツは無条件降伏ではありません。ベルリンが連合軍に制圧されるような事はなく、社会は健全に機能していました。

 

しかし、莫大な戦費が経済をガタガタにし、労働者の暴動やストライキが頻発していたので、連合国側のアメリカ大統領ウィルソンからの無賠償講和という提案に乗り、いわば余力を残して降伏したのです。

 

ところが、ウィルソン大統領の無賠償講和に、ドイツ近隣のフランスやイギリスが猛反対。さらに連合国の戦時公債を大量に購入していたアメリカの財閥も債権回収が不可能になる事を恐れてウィルソンに圧力を掛け、ドイツに国家予算の20倍にもなる330億ドルの賠償金を課したのです。

 

もちろん、この騙し討ちにドイツ人は怒り狂いました。そして、その怒りの矛先が向かったのが、ドイツ国内のユダヤ人だったのです。当時のドイツはヨーロッパ1ユダヤ人に寛容な社会であり、多くのユダヤ人が移住していました。

 

国を持たないユダヤ人は勤勉で克己心が強く、ドイツの人口の1%に過ぎないユダヤ人は社会的にも高い地位に就き、収入も一般ドイツ人の3~4倍もありました。

 

巨額の賠償金を課せられ、失業して貧しい暮らしをする多くのドイツ人の嫉妬心は、国内のユダヤ人に注がれ、ユダヤ人の悪口が持てはやされる世相が生まれます。

 

そこで発行されたのが、ヒトラーの我が闘争だったのです。戦争に負けたのは、ユダヤ人金貸しのせいだ、ユダヤ人は世界を征服しようとしているという我が闘争の荒唐無稽なユダヤ脅威論は多くのドイツ人に共感と共に受け入れられ、本は飛ぶように売れたのでした。

 

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