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この記事の目次
実在しないという面白さ
筆者は、ここで関索の存在が「あくまで創作」「架空の人物」であったことが意味を成してくると思うのです。架空の人物であり、史実がどうしていたか、ではなくそもそも史実に存在しない。つまり書き手、作り手からすると「どんな想像もできる」という人物です。
主人公に据えてもよい、登場人物の一人でもいい、どんな活躍をしていても、どんな解釈でも、乱暴な話「正解」が明確に記されている訳ではないのですから、扱いやすい存在として関索の存在が出来あがったのではないかと思います。
これもまた、面白さですね。
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当時の(?)関索は
さて現代の関索の面白さというか、便利さに付いてちょっと拙い考察をしましたが、当時の関索はどんな存在だったのでしょうか。それは三国志ではなく、水滸伝に見ることができます。水滸伝に出てくる人物の一人、楊雄のあだ名が「病関索」といい、これは顔の色が黄色いことからそう呼ばれています。
例えでも使われている所を見ると、架空の人物ではあるものの関索という名前は浸透しており、花関索伝自体も受け入れられていたというのが分かりますね。
関羽の息子という立場で生まれた関索ですが、民間でも受け入れられたという所から、関羽という存在の人気さ、やはり、と言った所でしょうか。
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病関索
さて最後にちょっと病関索こと楊雄。顔の黄色い関索と言いましたが、病=顔色が悪い、ということで病関索と呼ばれるようになったということです。
眉毛が非常に長く、切れ長の目と中々の色男な雰囲気を漂わせる人物ですが、性格はせっかち、直情。このため良く機転の利く義弟に助けられるという人物で、関索や関羽というよりも、三国志演義の張飛を思わせる人物像なのが面白い所。ここにも三国志の存在が見て取れる……時代と文学の繋がりを感じて、何だか嬉しくなりますね。
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三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと関索についてお話させて頂きました。筆者は横山三国志から入り込んだのですが、関索はというより関興が出てきた段階で「関羽って結婚してたんだ……」と思ったことを思い出しました。
考えて見るとこの頃から関羽は「どこか常人とは違う」という意識があったのかもしれません。そう思うと関羽が単なる歴史上の人物ではなく、神となっているのも頷けますね。
こうして今日もまた一歩三国志の沼へ……とぷん。
参考文献:花関索伝
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