関平は関羽の実の息子!一体どこで生まれたの?


関平

 

関平(かんぺい)は三国志演義における関羽(かんう)の養子です。三國志14では、とびきり高い能力ではないものの、統率77、武力82、知力68と平均的に高く使えるキャラになっています。

 

同年小録(書物・書類)

 

そんな関平、史実では養子ではなく関羽の実子でした。しかし、関平がいつ、どこで生まれたか史実には記録がないのです。そこではじ三では、関平がどこで生まれたのか推測してみます。


正史には14文字とても少ない関平の記録

幕末 魏呉蜀 書物

 

三国志演義では、劉備の養子の劉封と一緒に出てくる事が多く、周瑜の劉備暗殺を防いだり、蜀攻めで龐統が戦死したあとに、荊州に諸葛亮の援軍を仰ぐ使者になるなど出番が多い関平ですが、正史における記録となると

 

權遣將逆撃羽(そんけんしょうをおくりかんうをうつ) 斬羽及子平于臨沮(かんうとかんぺいをりんそできる)

 

このように、僅か14文字が関羽伝に記されているだけです。それ以外に裴松之(はいしょうし)が採用した王隠(おういん)の蜀記に、

裴松之(歴史作家)

 

①関羽が樊城(はんじょう)の攻囲に出撃した当初に、夢に豬に足を噛まれた。関羽が子の関平に語るには 「わしは年老いたが還る事はできぬ!」と語った

②孫権は将軍を遣わして関羽を攻撃し、関羽および子の関平を捕らえた。孫権は関羽を活かして劉備と曹操に対抗させたいと考えたが、左右の臣は否定し、狼の子は犬ではないので懐かずとても養えません。(後略)

 

kawauso

 

このような記述があるだけです。ただ、樊城包囲戦に従軍していて、関羽の愚痴のような言葉を聞いているので、相応に成長した若武者ではあると思います。


関平はどこで生まれたのか?

関羽

 

では、関平はどこで生まれたのでしょうか?関平にしても関興(かんこう)にしても、いつ生まれたという記述は正史にはありません。それに、そもそも、関羽や張飛は劉備の傭兵として中華全土を放浪しており、とても妻帯できるような状態ではなかったとも考えられます。

劉備と関平たち

 

当時の中国の大半の人は安住の地を得てから婚姻(こんいん)するのであって、放浪している劉備軍団は、大将の劉備(りゅうび)は別として定まった妻を持てず、(というより劉備は、曹操に追われると妻子を見捨てて1人で逃げています)土地、土地で旅妻を見つけては、軍団の移動で別れるを繰り返したのだと推測します。

 

【蜀のマイナー武将列伝】
蜀のマイナー武将列伝


放浪を繰り返す劉備の遍歴

劉備と的盧

 

試みに劉備の放浪歴を見てみましょう。

 

安喜県(あんきけん)

②丹楊

③下邳

高唐県(こうとうけん)

遼東属国(りょうとうぞっこく)

⑥平原

(せい)

⑧小沛

⑨下邳

➉小沛

⑪許

(はい)

⑬許

下邳(かひ)

小沛(しょうはい)

平原(へいげん)

(きょ)付近

汝南(じょなん)

新野(しんや)

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

黄巾討伐(こうきんとうばつ)の挙兵から劉表を頼って新野に落ち着くまで(およ)そ、16年間に19回もあちこち移動し続けています。途中には、関羽と張飛とはぐれた時期もありますが、このような落ち着きの無さでは、とても正式に結婚式を挙げている暇も家庭を築く暇もないでしょう。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

仮に、関羽が付き合っている女性との間に子供が出来ても、ある程度大きくならないと遠征についていかせるのも難しいと思います。大将の劉備は別ですが・・

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