鍾会とはどんな人?邪悪なエリート官僚が起こした杜撰な謀反劇の顛末

2021年4月12日


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鍾会とは?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鍾会の最期

殺害される姜維と鍾会

 

264年1月18日、胡烈の軍兵が胡烈の子と共に鼓を連打して営門を出ます。これに併せて諸軍の兵も期せずして皆が鼓を叩いて出撃、督促する指揮官もないのに兵は、先を争うようにして成都の城壁に群がりました。

 

この時、鍾会はまさに姜維に鎧と杖を与えている所でしたが、城外の魏兵が城壁を乗り越えていると伝令から聞くとパニックになります。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

「きょうえもーん!外の兵が僕に危害を加えようとしているよ!どどど、どうしよう?」

 

「のび…、ゴホン!どうするもなにも迎え撃つだけです!」

 

鍾会は兵を派遣して幽閉した諸々の牙門将と郡守を殺してしまおうとしますが、すでに内部では机を積み上げるなどして中に入れないようになっていました。

 

炎上する城a(モブ)

 

こうしている間に成都城の門外にはハシゴが掛けられて魏兵が次々と城内に乱入、ある者は城屋を焼き、ある者は城壁に蟻のように数珠繋ぎになり進みます。矢は雨の如く降り牙門や郡守は各々屋根に縋って脱出し、監督する兵を掌握しました。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

姜維は鍾会の左右の者を率い自ら5〜6人を殺しますが、間もなく大勢の魏兵にメッタ斬りにされました。姜維を殺した後、兵士たちは鍾会を殺しに殺到。こうして鍾会は40歳の生涯を閉じたのです。

 

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まとめ 鍾会

野望が膨らむ鍾会

 

鍾会は権謀術数に優れ、邪魔者を平気で粛正する陰険さをもっていましたが、一方で、役所に閉じ込めて兵士との連絡を絶った牙門将や郡守をさっさと殺さないで躊躇して活かしておくなど、優柔不断な点が目立ちました。

 

そして、何よりも自ら兵を指揮した事がなく、兵の気持ちを斟酌(しんしゃく)できないのが最悪の形で反映されてしまいましたね。

 

白湯を吐いて鍾会の警戒を解く衛瓘

 

また、不思議な事に晋書の衛瓘伝では、衛瓘が仮病を使って成都城を抜け出し、魏兵の指揮を執って、鍾会と姜維を殺害した事になっていますが、正史三国志の鍾会伝では、衛瓘は鄧艾を逮捕する辺りでしか登場せず魏兵は指揮官もいないのに、統制された行動を取った事になっています。

 

参考文献:正史三国志 鍾会伝

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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