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袁術の下にいたということ
そんな見るも無残な状況でありながら、袁胤は袁術の下にいました。そして袁術が亡くなってもそれは変わらず、遺族を連れて棺を護り、共にありました。袁胤の正史における記述はそれだけです。しかしそれだけだからこそ、こんな時代で最期まで袁術の傍にいた、そんな袁胤の人柄が見えてこないでしょうか。
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袁家の最期まで
事実、代替わりしたり、落ち目になったりすると仕えていた家を離れるということは珍しいことではありません。袁一族の人であったとは言え、それでも家を離れるのは良くあることです。それでもその一族がほとんど滅亡して尚、その傍に居続けた。たったそれだけの記述が、たったそれだけだからこそ記憶に残る、そんな人物だと思いますね。
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もしかしたら
最後に、袁胤のその後を少しお話しましょう。
前述したように、袁胤は袁術の家族を連れて逃亡中、孫策に襲撃されてそれ以降は不明です。しかしこの後、袁術の息子は孫家に仕えることになり、袁術の娘は孫権の後宮に入って大事にされてその生涯を終えました。なので個人的には、個人的な願望で言うと、袁胤も生き残ったのではないでしょうか。どうかそうであってくれと、思わずにはいられません。
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三国志ライター センのひとりごと
袁胤は、横山三国志ではやはり袁術の最期を看取る役割でした。たったそれだけですが、やはり印象に残るのはそこです。あの時代に、しかも袁術という一族から離れることなく、一緒にいた。それだけしかない、それだけしかないからこそ。不思議と何故か記憶に残ってしまう、そんな不思議な人物だと思います。
ちゃぷり
参考文献:呉書孫策伝 呉書孫輔伝 呉書周瑜伝
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