袁術の最期を看取った袁胤、印象に残らずとも残る理由

2021年11月28日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

力をつけ始めた曹操をぶっ潰そうと考えた袁紹

 

さて皆さん、袁一族というとどんな印象があるでしょうか。三国志演義では曹操(そうそう)のかませ犬みたいな扱いをされるも、実際は強大な敵であり、近年再評価が進んできた袁紹(えんしょう)

 

 

袁術

 

突如として皇帝を名乗っちゃったと思ったらすごい勢いで転落していった、最期の「はちみつ」がやたら印象に残ってしまっている袁術(えんじゅつ)。今回はそのどちらでもない、印象に残らないけれど残る、そんな人物、袁胤(えんいん)のお話をしたいと思います。

 

 

正史の袁胤

袁胤(えんいん)

 

正史三国志に、袁胤の伝はありません。しかし他の伝でいくらかの記述を見ることができます。袁胤は袁術の従弟であり、丹陽の太守に任命されたけれど、孫策(そんさく)配下から追い出されてしまうのが袁胤です。

 

その後、袁術が死んだ後はその棺、家族たちを連れて劉勲(りゅうくん)の元へ向かうのですが、ここで孫策に襲撃されて捕らえられ、その後の経緯は分かりません。

 

関連記事:もし孫策が暗殺されなかったら、三国志はどうなっていた?諸葛亮は孫策に仕官するのではないか?

関連記事:孫策が袁術のもとから離れたのは本当に皇帝になったのが原因なの?

 

英雄の武器特集

 

 

 

三国志演義の袁胤

三国志演義_書類

 

が、この袁胤、三国志演義ではひと味違います。

 

玉璽に興奮する袁術

 

まず袁術の甥として登場します。そしてここで孫策から玉璽(ぎょくじ)を献上された袁術、皇帝を名乗って有頂天。

 

袁術

 

やりたい三昧放蕩三昧で自分の領地を疲弊させ、周囲の曹操や劉備(りゅうび)から攻撃され、這う這うの体で袁紹の元に身を寄せようとします。ここでよりによって財宝を持って逃げるのが三国志演義の袁術と言わざるを得ないのですが……この袁術に付いて行くのが袁胤です。

 

関連記事:【意外な事実】袁術は本当に伝国の玉璽を持っていた!

関連記事:超ウソくさ!劉備の玉璽はあの漢水に沈んでいた

 

はじめての三国志Youtubeチャンネル2

 

 

袁一族の末路

袁術

 

抱えて逃げた財宝は裏切った部下に奪われ、兵糧もなくなってしまった袁術。仕方なくその辺の農民に「朕にはちみつを献上せよ!」と言うも袁術と知られるや否や嫌がられる始末。

 

袁術の最後

 

ここまで民の心が離れていたのかと絶望して血を吐き、袁術は死にます。袁胤はその後は袁術の遺族を守って逃亡を続けるも、曹操の配下に玉璽とその命を奪われ、袁術の遺族と共にその首は曹操に献上されて終わりました。これが袁一族の末路です。

 

関連記事:はちみつ皇帝袁術の領土拡大政策を一挙公開!

関連記事:ハチミツをもらえなくて袁術は死亡?ハチミツ皇帝袁術の死の過程

 

袁術祭り

 

 

当時の袁術

炎上する城a(モブ)

 

さてここで当時の群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代を思い出して下さい。

 

君主論 董卓

 

世は正に戦乱の時代、漢王室の権威は地に落ち、悪逆の徒である董卓(とうたく)が洛陽や長安でやりたい放題で国土も疲弊。

 

献帝を保護する曹操

 

袁術は当初こそ周囲を争わせて上手く行っていたものの、献帝(けんてい)は曹操に奪われる。ここからがケチの付き始めのように皇帝僭称(せんしょう)から周囲にふるぼっこぼこ。名族の威光もまた地に落ちた、そんな袁術の一族でした。

 

関連記事:李儒はどんな人?史実では皇帝殺しの容疑で献帝に粛清されかけていた凡庸な悪

関連記事:実はとっても苦労していた!知られざる献帝流浪の日々

 

はじめての漢王朝

袁術の下にいたということ

同年小録(書物・書類)

 

そんな見るも無残な状況でありながら、袁胤は袁術の下にいました。そして袁術が亡くなってもそれは変わらず、遺族を連れて棺を護り、共にありました。袁胤の正史における記述はそれだけです。しかしそれだけだからこそ、こんな時代で最期まで袁術の傍にいた、そんな袁胤の人柄が見えてこないでしょうか。

 

関連記事:袁胤とはどんな人?袁術を守った忠義の人だけど報われない人生を送った人物

関連記事:袁術の側室・馮氏(ふうし)の憐れな偽装死にも気づかなかった鈍感・袁術エピソード

 

英雄の死因

 

 

 

袁家の最期まで

ポイント解説をするセン様

 

事実、代替わりしたり、落ち目になったりすると仕えていた家を離れるということは珍しいことではありません。袁一族の人であったとは言え、それでも家を離れるのは良くあることです。それでもその一族がほとんど滅亡して尚、その傍に居続けた。たったそれだけの記述が、たったそれだけだからこそ記憶に残る、そんな人物だと思いますね。

 

関連記事:馮氏(ふうし)とはどんな人?三国志演義では出番が少ないが正史三国志では重要人物

関連記事:袁術は実はベトナムに逃げ延びていた!?【歴史ミステリー】

 

袁術くんの成長日記

 

 

 

もしかしたら

三国志を楽しく語るライターセン様

 

最後に、袁胤のその後を少しお話しましょう。

 

孫策に攻撃される黄祖

 

前述したように、袁胤は袁術の家族を連れて逃亡中、孫策に襲撃されてそれ以降は不明です。しかしこの後、袁術の息子は孫家に仕えることになり、袁術の娘は孫権の後宮に入って大事にされてその生涯を終えました。なので個人的には、個人的な願望で言うと、袁胤も生き残ったのではないでしょうか。どうかそうであってくれと、思わずにはいられません。

 

関連記事:【三国志の3大軍師を比較】孔明、周瑜、郭嘉の●●●ランキング!

関連記事:袁術さんはどうして皇帝を名乗ったの?

 

if三国志

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

袁胤は、横山三国志ではやはり袁術の最期を看取る役割でした。たったそれだけですが、やはり印象に残るのはそこです。あの時代に、しかも袁術という一族から離れることなく、一緒にいた。それだけしかない、それだけしかないからこそ。不思議と何故か記憶に残ってしまう、そんな不思議な人物だと思います。

 

センさんのとぷんver1

 

ちゃぷり

 

参考文献:呉書孫策伝 呉書孫輔伝 呉書周瑜伝

 

関連記事:袁紹と袁術が親戚同士ならどうして共闘して天下を狙わなかったの?

関連記事:【if三国志】もしも、袁紹と袁術がラブラブだったら?

 

三国志ライフ

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-三国志の雑学
-,